はしご酒(Aくんのアトリエ) その七
「サイゴハカツ。ウエガダメデモシミンデカツ。」
「最後は勝つ。上がダメでも市民で勝つ。」
かなりの威勢の良さを放つコレは、ある新聞社の広告賞で、出版等部門の最優秀賞に輝いた、ある出版社のある広告の、キャッチコピーである。
そして、その右下には、とても小さな文字ではあるものの、こう力強く書き添えられている。
・・・
この国の強さは市民にある。
行動する一人ひとりこそが偉い。
リーダーシップなど期待する方がバカ。
自分で考え、自分で動け。
難題を乗り越えるのは、
いつだって最前線の人間だ。・・・
さすが受賞作品。シモジモである一般ピーポーたちの魂をパワフルに鼓舞する、素晴らしくインパクトのあるキャッチコピーだと思う。
ただし、どれほど素晴らしくても、ソコにつけ込む得体の知れない悪魔がいるとなると、話は、少々ヤヤこしくなってくる。
などと、タラタラと独り言(ゴ)ちていると、Aくん、そんな私の危惧に、それなりに共感してくれたのか、「つまり、公助に頼ることなく自助でやりますから、ってことだよな。コレって、上からしてみれば、むしろ、好都合なんじゃないの」、と。
好都合。・・・。
私が危惧する、ソコにつけ込む得体の知れない悪魔とは、まさに、ソレ、なのかもしれない。
どれほど素晴らしいキャッチフレーズであったとしても、実に上手い具合に都合良く、扱われてしまう、利用されてしまう、というこの手口、ドコかで目にしたような。
そう、そうだ、国会。
おっ、珍しく、シモジモである一般ピーポーたちに目を向けてくれた法案を通したな、などと喜んでいたら、アッという間に、あの人たちの都合のいいように解釈され、ねじ曲げられ、寄って集(タカ)って骨抜きに、どころか、弱者に牙を剥(ム)いてさえくる、みたいな、そんな法律アルアルと、なんとなく似ているように思える。
ふ~。
どんなに素晴らしいモノであっても、ソレを使う人間によっては、悪魔のツールにもなり得る、ということか。最悪だな。
そんなこんなでスッカリ失望にまみれまくった私に、Aくんは、それでも、それでも、と、力づくで、気持ちを前向きに切り替えようと、引き上げようと、声高らかに宣うのである。
「それでも、そう易々と、屈するわけにはいかない。上がダメでも、最後は勝つ!」、と。
(つづく)