ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.908

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と三十九

「ブンカハッシンノ ニナイテ ダト」②

 「たとえば、テレビのニュースバラエティ番組。ソコで、タレントたちがイロイロとコメントしたりしているよね」

 「していますね。スポンサーの意向とか、世論を敵に回したくないとか、と、タレントはタレントなりに、気を遣い、忖度しながらコメントされているようですが」

 「本人たちの考えで、意思で、気を遣い、忖度しながら、なのであれば、ま、ソレはソレでいいかな、とは思うけどね」

 そもそもAくんも私も、ニュースバラエティ番組なるモノに、あまり良い印象をもってはいない。曲がりなりにも「報道」系番組なのだ。にもかかわらず、視聴率やら忖度やらの臭いが、あまりにもするものだから、どうしても、ソコにトンでもない「裏」が潜んでいるような気がしてならないからである。

 「だけど、だけどだ。タレントたちのコメントまでもが『広告』だということになると、話はその根底から違ってくる」

 「コ、コメントが、広告、なのですか」

 「依頼主のその意向に沿ったタレントたちのコメントそのものが、広告。もちろん、形のない、目に見えないモノまで、依頼主にとって都合のいいように、さりげなく宣伝しちゃうわけ。そんな、オキテ破りの広告も、ソコにある問題点には目を瞑(ツブ)り、新手(アラテ)の広告としてサクッっと認め、受け入れてしまうてしまう、という、そんなおエライ方々がいるということだ」

 コメントが、そんな、そんなオキテ破りの広告、だとは。

 ソレが事実なら、ニュースってナンだ、タレントたちのコメントってナンだ、そもそも、テレビってナンなんだ、というコトにまで行き着いてしまう。

 「文化発信の担い手が、担い手だと思っていた大手広告代理店が、悪魔に魂を売り、オキテ破りの広告に手を染める、明け暮れる、なんてコトは、絶対にあってはならない、はずなんだけれど、『金儲けのためなら、たとえ火の中、水の中』、権力の担い手として突き進む、というコトなんだろうな」

 あ~。

 仮に、Aくんが危惧するようなそんなコトが本当にあったりするなら、もう、雨のあとに虹なんて出ないな、きっと。

 Some rain doesn't have rainbow.

 虹が出ない雨もある、・・・か~。(つづく)