はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九十
「コクエキニミセカケタ ベツモノノカノウセイ」
「ココで、社会派早口言葉を一つ」
自慢の唐突さで、そう口火を切ったAくん。その、社会派早口言葉なるものを、思いの外(ホカ)高速で、一気に披露してくれる。
「コクエキニミセカケタベツモノノカノウセイ、コクエキニミセカケタベツモノノカノウセイ、コクエキニミセカケタベツモノノカノウセイ」
「そ、それが、社会派早口言葉、ってヤツですか」
「そうそう、社会派早口言葉、の、その中の一つ、ね」
ちょっと微妙な感じではある。
「巷で流行らないかな~、と、密かに期待しているのだが」
まず流行らないな、と、思いはしたものの、こういった、教訓的な、啓発的な、早口言葉が、人々の間で静かなるブームになることを、なんとなく期待もしてしまう。
「国益に、見せかけた、別モノの、可能性、ですか」
「なかなかな、社会派早口言葉だろ」
「たしかに、いいトコロを突いてはいますよね」
「あの、般若心経のように、さり気なく、人々の心の中に根付かないかな~」
さすがにソレは難しいかな、と、思いはしたものの、政治を司るシモジモじゃないピーポーたちが、ナニやら妙に美味そうな話をし始めた時、ソレを鵜呑みにする前に、まず、自分たちの「聞く耳」の精度を上げるためにも人々が、この社会派早口言葉を心の中で唱えてみる、ことに、やっぱり、なんとなく期待をしてしまう。
コクエキニミセカケタベツモノノカノウセイ、コクエキニミセカケタベツモノノカノウセイ、コクエキニミセカケタベツモノノカノウセイ。
般若心経にはタイヘン申し訳ないのだが、心の中で、何度も何度も繰り返しているうちに、ほんの少し、ほんの少しだけれど、現代の、新たなる般若心経、の、ように、感じなくもないかな。(つづく)