はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と八十九
「ヒビタンレンシ イツクルトモワカラヌキカイニ ソナエヨ」
日々鍛練し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ。
この言葉、某局の、ある、朝の連続テレビ小説なるものの中で、おそらく、あの、「5万回斬られた男」がモデルであろう斬られ役の、その、ベテラン俳優が、迷える若者たちに言い放った魂の名言なわけよ、とAくん。
「その、朝の連続テレビ小説なるものを、見ておられるのですか」
「見てる見てる、朝のルーティンの中に、シッカリと入っている」
申し訳ないが、Aくんのその朝のルーティンを、私は、ほとんど見たことがない。
「面白いのですか」
「正直、面白かったり、そうでなかったり、と、まちまちなんだけれど、ここんところは、退職したということもあって、とにかく、見ている」
「いわゆる、麻薬的な感じ、ってヤツですか」
「見ないと落ち着かない、不安になる、ソワソワする、イライラする、みたいな?」
「そうです」
「ソレはないな、ない。どちらかというと、テレビドラマづくりの最後の砦(トリデ)、みたいな、そんな思いで見続けている」
「テレビドラマづくりの、最後の砦、ですか」
「そう。つまり、丁寧な仕事をしている、ということだ」
丁寧な仕事、か~。
考えてみれば、ドラマづくりも「ものづくり」。その「ものづくり」に対する心が荒れてしまっては、技が荒れてしまっては、本末転倒、もう、どうしようもない。その、存在意義まで怪しくなってくる。
そんなことを漠然と思いながら、そのベテラン俳優のセリフを、もう一度、頭の中で繰り返してみる。
日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に、備えよ。か~。
たしかに、名言だ。
するとAくん、なんとなく曇った表情で、ボソリと呟く。
「伴虚無蔵(バン キョムゾウ)氏のこの名言でさえ、権力者たちの耳には、だからこそ憲法改正だ~、防衛費を増やせ~、敵基地攻撃能力を高めよ~、核の共有だ~、などと、聞こえるのかもしれないな」
な、なんということだ。
魂の名言さえも、ソレを聞く耳によっては、トンでもなく違うモノとして受け止められてしまう、ということなのだろうか。
(つづく)