はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と八十五
「ミザルイワザルキカザル! ミザルイワザルキカザル?」
時折、目にすることがある「三猿(サンザル)」。それぞれ、目に、口に、耳に、両手を当て、横一列に鎮座するフォーメーションは、ことのほか、愛くるしくキュートだ。
「見ざる言わざる聞かざる。ご存じですよね」、と私。
「もちろん。あの、孔子ゆかりの、とも言われている、『三猿(サンザル)』だよね」、とAくん。
「こ、孔子、ですか」
孔子とは。さすがにソレなりに驚いてしまう。
「い、いや。直接、本人に聞いたワケじゃないから、本当のトコロのコトは知らんけど」
「あっ、そうそう。どういうワケか、この国のピーポーたちには受け入れられなかったみたいなのですが、股間に両手を当てた4匹めの猿がいたらしいですよ」
「股間に両手を!?。ス、スゴイな、それ」
「見ざる言わざる聞かざる、そして、せざる」
「せざる!?。ナンだか、いかにも『戒め』って感じだよな~」
「そうなんです。コレって、戒め、っていうか、教訓、って、英知、っていうか、とにかく、そんな感じなんです」
「イヤというほど、デマゴーグやらフェイクニュースやら、怪しげなプロパガンダやらが蔓延しているこの世の中だ。そんな未来を予知して、孔子が、ありがたい『戒め』を、我々に残しておいてくれたのだろう」
「と、私も、思っていたのですが」
「ん?、違うのかい」
「違う、というか、ナンというか。とにかく、ナニかがドコかで、どうしても引っ掛かって、引っ掛かって仕方がないのです」
するとAくん、「ナンとしてでも心を乱されないがための、見ざる言わざる聞かざる、せざる、な、ワケだろ」、と。
心を乱されない、が、ための?
「つまり、単なる『保身』ではない、ということだ」
単なる保身ではない、か~。
「醜きモノから我が身を遠ざける、というコトは、真実から目を背(ソム)ける、というコトと、真逆と言っていいほど、全くもって根本的に違う」
あっ、あ~。
ナンとなく、意味もわからずボンヤリと引っ掛かっていたコトの、そのボヤけていた輪郭が、ほんの少し、シャープに見えてきたような、そんな気がした。(つづく)