ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.823

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と五十四

「ファクトチェック?」

 「公式ファクトチェッカー!」

 ん?

 「公式の、ファクトの、チェック!」

 んん?

 「権力者が、自ら、公式のSNSに投稿されたモノをチェックして、嘘偽りやら誹謗中傷やらを取り締まる!」

 んんん?

 「市民が、誤った情報によって混乱したり惑わされたりしないように、そういったモノから市民を守る!」

 んんんん?

 「その使命を負った、正義のための、正義を貫くための、公式、ファクトチェッカー!」

 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。公式ご当地スーパーヒーローみたいで、カッコよくは聞こえますけど、ソレって、公正な第三者機関によるチェックじゃないんですよね」

 「あ~、今でもやっているのかどうかはわからないけれど、少なくとも僕が聞いた時には、その自治体のソレは、第三者機関によるチェックではなかった、と、思う」

 「ソレって、ファクトチェックとは言えませんよね」

 「言えないな。場合によっては、言論統制、にさえも、なりかねない」

 「げ、言論統制!?。ダメでしょ、ソレ」

 そもそも、その、正義のための、って、ナンだ。

 私たちは、歴史を通して、正義のための、と、謳った、最悪のケースを、幾つも学んできたし、ソコから、多くの悲劇が生まれたことも、学んできたのである。それほど、正義のための、は、容易いものではない、ということなのだろう。

 本来、正義のための、は、どこまでも真っ当で、最大級の英知と気概と覚悟によって裏打ちされたモノでなければならないはず。間違っても、悪意と傲慢と往生際の悪さによるモノであってはならないはずだ。

 仮に、Aくんが宣っているような、オキテ破りで高圧的なファクトチェック、が、本当に行われているとするなら、おそらく、更に、市民の分断は進んでいくに違いない。

 もういい加減、6割の市民と4割の市民とを、お互いに、思いっ切り敵対視させるような、そして、分断せしめるような、そんな政治手法は、やめにしては、どうだろう。(つづく)