はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と五十三
「ルサンチマン!」
「ニタニタ笑って、ナニを考えているんだい」
私が、アレコレと、義経に対する書き込みを妄想していたら、おもわずAくんに、そう突っ込まれてしまい、少々、慌てる。
「ニタニタなんてしていませんけど」
「え~、そうかい。ニタニタしているようにしか見えなかったけど」
とにかく話を変えなきゃ、と、突発的に、なぜか「ルサンチマン!」と口走ってしまう。
「ル、ルサンチマン?」
「いえ、いや、べつに。つい最近耳にして、ちょっと気になった言葉だったので」
「なんだよ、それ。気になるな~」
「判官贔屓(ホウガンビイキ)。判官贔屓を、もう一つ角度を変えて見てみると、ルサンチマンが見えてくる、みたいな」
「申し訳ないが意味不明。全くわからない。もっとわかるように説明してくれよ」
ダメだ、どうしよう。説明なんてできるわけがない。それでも、ベストは尽くしてみようと、当たって砕け散る覚悟で話し続けてはみる、私。
「圧倒的弱者の思いに寄り添う、見守る、応援する、と、圧倒的強者に嫉妬する、憤る、憎悪する、とは、違いますよね」
真剣な表情のAくん。私の、苦し紛れと火事場のクソ力との合体版のような話に、集中して、耳を傾けてくれているのがわかる。
「ソレが、ルサンチマン。判官贔屓よりも、どうしてもウンと危険な臭いを感じてしまうのです」
「つまり、君は、圧倒的な強者に対する攻撃的な姿勢は危険だ、と、言うわけだな」
ま、まずい。微妙に違う。
「ではなくて、そうした負のエネルギーは、良からぬ方向に人を突き動かしかねない、ということです」
「ん~」と唸ったまま黙りこくる、Aくん。
「相手が強者だからといって、ナンでもカンでも噛み付けばいいってものではないのではないか。それよりもまず、大切なことは、弱者の思いに寄り添い、応援する、という、正のエネルギーを、自分の中に溜め込むことだと思うのです」
すると、ようやくAくん、自分なりにルサンチマンのナニかが見えてきたのか、ユルリと語り出す。
「たしかに、どんな的外れなチャンスであっても、とにかくチャンスでさえあれば、噛み付くために噛み付く、みたいな、そんな、脊髄反射的でいて戦略的な噛み付き攻撃を、しばしば目にすることはある。SNSでも、応援よりも攻撃、が、やたらと目に付くのも、まさにその、負のエナルギーってヤツの仕業なのかもな」
(つづく)