はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と弐
「ナンナンダヨ バッシンガーゼット」
1970年代前半あたりに、少年たちの心をわし掴みにしていたロボット系のTVアニメがある。
それがあの『マジンガーZ(ゼ~ット)』。
鬼才、永井豪が原作なだけに、どうしても、ウブで多感な少年心を、否が応でも軽やかに擽(クスグ)る内容となっている。
とくに、どういう構造になっているのか全くもって不明の必殺の飛び道具、「乳房型光子力ミサイル」を有するアフロダイA(エース)の人気は、マジンガーZに勝るとも劣らないほどであったと、個人的には思っている。
そんなマジンガーZの遠い親戚筋にあたる、とはいえ、性格も価値観も生きざまも、まるで異なるオキテ破りのダークヒーローが、正義のためならバッシング攻撃も辞さないという「バッシンガーZ」なのである。
「正義のためならバッシングの、波状攻撃だって辞さない、というその感覚が、どうしても私には理解できないのですが」
「バッシングの波状攻撃、ね~。・・・、考えようによっては、そのほとんどが、正義に裏打ちされたモノなのかも、な」
だから、悪党ではなくダークヒーローなのか、などと、妙に納得したりもする。
「正義のためにバッシングに命を捧げたダークヒーロー、バッシンガーZ。いや、いやいや、いや、正義のためにバッシングなんて、おかしいでしょ。そんなの、愚かなる勘違い以外のナニモノでもない」
「おっ、バッシンガーZ、懐かしい」
そうだ、そうだった、このバッシンガーZ、Aくんの命名だった。
「おかしいよ、おかしいさ、もちろん。メチャクチャ屈折はしているし、ピントだって外れているし、オマケに、妄信的で独善的であったりもする、けれど、それでも、とにかく、正義のためにやってるんだよ、バッシンガーZは。だからこそ、飛び抜けに厄介なワケだ」
なんなんだ、その正義は。
屈折はしているは、ピントも外れているは、オマケに妄信的で独善的ときて、それでも、正義とは、ナニからナニまで、ドノ面(ツラ)下げてナニを言う、である。
なんなんだ、なんなんだよ、バッシンガーZ、って。(つづく)