ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.750

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と九十一

「バンポウキイツ」

 憲法と法律、素人目で見ても、この両者、全く違うモノに見える、とAくん。

 「け、憲法、と、法律、ですか」

 唐突に始まったにしては、テーマがやたらと大きく、たじろいでしまう。

 「チョコマカとその場その場のニーズに振り回されながら改正されたり制定されたりする、実に落ち着きのない法律たちとは、全く別次元のモノ、と、言ってもいい」

 別次元のもの、か~。

 「そんな、落ち着きのない法律たちとは別次元の、その、憲法のあるべき姿とは、いったい、どういうものなのですか」

 するとAくん、ボソリと、ながらも、力強く、呟いてみせる。

 「凛として動ぜず」

 「えっ」

 「凛として動ぜず。腹に一物も二物もある者たちごときが、容易(タヤス)く動かせるような、そんなモノじゃない、ということだ」

 たしかにこの世の中、ヤヤもすると、どさくさに紛れて、安易に、誰かにとって都合のいいように、アレもコレもついでに変えちまえ~的なところ、あるような気がする。それゆえの、だからこその、凛として動ぜず、なのだろう。

 そして、Aくんの「憲法は凛として動ぜず」理論は、さらに続く。

 「萬法帰一(バンポウキイツ)という言葉がある」

 「バ、バンポウ、キイツ、ですか」

 「そう、萬法帰一。萬(ヨロズ)の法は『一』に始まり『一』に帰る、みたいな、そんな意味合いの禅宗の言葉である、と、勝手に解釈している。で、その『一』こそが憲法なのであって、だからこそ憲法は、『凛として動ぜず』でなければならない。チョコマカと動きまくってナニがナンだかわからなくなってしまっていたとしたら、萬の法たちは、ドコに帰ればいいのかわからなくなってしまうだろ、違うかい、そうは思わないかい」

 思います、思いますとも。

 そして、その、Aくんの「憲法は凛として動ぜず」理論を聞いているうちに、私は、なんとなくながらも、さらに思うのである。 

 国が、国民が、ナニかの弾みで正義の道を踏み外そうとした時、おそらく、憲法は、凛として動ぜず、「およしなさい」、と、嗜(タシナ)めてくれるに違いない、と。(つづく)