はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と七十八
「マクロケイザイスライド!」
だいたいからして、シモジモじゃないエライ人たちが、横文字を使い始めたら要注意、というのが、少なくとも、僕の周りのプチ有識者たちの共通の見解だ、と、ナニやら勇ましく語り始めたAくん。
横文字、か~。
そもそも、なぜ、横文字を使うのか。
まさかとは思うが、ひょっとしたら、一般ピーポーには、できる限りわかりにくくしておきたい、という、腹黒い戦略?、などと、どうしても勘ぐりたくなってしまう。
そんな懐疑心満載の私を尻目に、さらにガンガンと語り続けるAくん。
「そんな横文字の、その屈指のスペシャルティが、『マクロ経済スライド』なわけ。しかも、横文字と縦文字とのハイブリットな渾然一体型でもあったりするものだから、ちょっとした凄みさえ感じるんだよね」
たしかに、凄みはある。
「で、このマクロ経済スライド、たとえば年金などの支給額を、その時その時の経済状況に合わせてスライドさせる、という、ある意味、理屈にも道理にも合った、現実味のある、フットワークも軽い、システムであり政策だ、とは思う。とは思うけれど」
「思うけれど?」
「ソコには、当然のごとく落とし穴が、ポッカリと口を開いている」
「落とし穴、ですか」
「そう、落とし穴。しかも、かなり厄介な落とし穴だ」
おそらく、その落とし穴が、Aくんの周りのプチ有識者たちが危惧する要注意事項、ということになるのだろう。
「その、マクロ経済スライドがもつ落とし穴とは、ようするに、計画性の放棄」
「計画性の放棄、ですか」
「そう。そして、多くの弱者たちは、それぞれの将来に対する大いなる不安に、駆られまくる、と、いうわけだ」
なるほど。
計画を立てられない、立てても意味がない、人生設計を描けない、描いても意味がない、では、将来に向けて安心などできるはずがない、と、私も思う。
「そんな具合に都合よく、スライドなんてことができるのなら、もう、権力を握るエライ人たちには、未来を見通す力も、計画する力も、維持する力も、全く必要ない、ってことになる。違うかい」
おっしゃる通りだ。
未来を見通せない経済政策がマクロ経済スライドであるのなら、その未来には、自(オノ)ずと闇が覆い被(カブ)さるのが必然。そんな感じで、マクロ経済スライドは、見事なまでにスルリと、どこまでも真っ黒なマックロ経済スライドに、スライドしていくのだろうな。(つづく)