ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.734

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と七十五

「ハイブリット!」

 などと、いい加減なことをしていたら終(シマ)いには大逆襲の憂き目を見るかもしれないアレコレ、を、ナンとなく頭に浮かべたりしていると、Aくん、突然、唐突に、ハイブリット授業、って、どう思う?、と、問い掛けてくる。

 ハイブリット、授業?

 ドライブは嫌いではないが、クルマ好き、というほどではない私でも、辛うじて、ハイブリットカーという言葉ぐらいならどうにか知ってはいる。知ってはいるが、じゃ、なぜ、どこが、どんな具合にハイブリットなんだ、となると、残念ながら、ほとんど知らないに等しい。

 そもそも、ハイブリット、って、ナンだ。

 「どう思うもナニも、どんな授業なのか、見当すらつきません」

 「つかないか~」

 「つかないです」

 「ま、ちょっと考えてみてよ」

 「考えて、みて、よ、ですか」

 考えてみてよ、と言われても、見当すらつかないのだから、どう考えてよいのか、その取っ掛かりさえ掴めない。しかし、掴めないなりに、ココは、思い切って、「ナンにせよ、選択肢があるコトはいいことだと思います」、と、知ったふうな口を利く。

 「つかない、と、言っているわりには、イイところを突いてくるじゃないか」

 ホッとする、と同時に、少し嬉しくなる。

 「つまりだ、たとえば、従来の王道である対面式の授業を、ニーズに応える形で、オンラインでライブに提供することができれば、学習意欲はあるけれど、様々な理由で登校できない子どもたちにとって、前向きに使えるツールになり得る、と、思うんだよな~」

 あ~、なるほど、対面式とオンラインとの同時二本立て授業のことか。

 「でもね、マイナス思考の保守的なエライ人たちにしてみれば、そんなコトをしたら、みんな学校に来なくなるじゃないか、みたいなことに、なるんだろうな」

 なぜ、まず、登校できない生徒のことを考えようじゃないか、というふうに、ならないのだろう。

 「どんなこともそうなんだけれど、やる気のないエライ人たちってのは、いつだって、的外れの言い訳を、いかにも正論のように仕立て上げて、進歩的な取り組みを潰しにかかる」

 仮に、そうしたやる気のないエライ人たちが言及する問題点があったとしても、ハイブリット授業が、誰かにとっての救世主になる、ということだけは、紛れもない事実だと、思う。(つづく)