ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.748

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と八十九

「タベル ソシテ イキル」

 自治体にもよるのだろうけれど、学校教育における「食育」というものの、その土台が、思いのほか脆(モロ)く、いとも簡単に崩れてしまいそうだ、とAくん。

 おそらく、シモジモじゃないエライ人たちの、学校給食に対する思いの、意識の、その低さを憂(ウレ)いているのだろう。

 「エラそうに、食育、などという言葉を使い始めたわりには、たいていの場合、ナニがナンでも給食を守っていくんだ、という気持ちは希薄で、トンでもないコトが起こったりする度に、見事なまでに軽んじられ、その足元は、情けなくなるぐらいグダグダに緩(ユル)みに緩む」、と、いたって辛口に指摘する。

 長い間、鬱(ウツ)に苦しんだある男性の、ある言葉を思い出す。

 食べることに興味をもてない。どうでもよくなる。そして、生きることにも興味をもてなくなる・・・

 たしか、そんな感じの言葉であったと記憶する。

 彼のその言葉のポイントは、生きることに興味をもてなくなったから、食べることに興味をもてなくなった、ではないということ。

 その時、私は、あらためて、「食」を軽んじてはいけないんだな、と、思ったのである。いま、そのコトをリアルに思い出す。

 もちろん、「食」において贅沢をする、という意味ではない。

 普通に美味しいモノを普通に美味しくいただく、というそのコトが、「生きる」、に、繋がるということも充分にあり得るんだ、ということを、彼は言おうとしていたのかもしれない。(つづく)