はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と七十六
「ナラティブ!」①
ソコに「ナラティブ(narrative )」なナニかがあることが大切なんだ、とAくん。
ナラティブ、ナラ、ティ、ブ、な、ナニか、とは、ナニ?
あのOくんならきっと、「オナラ、で、ブ~、と、ちゃいまっせ~」、と、絶対に言うに決まっている、などと、勝手な決め付けをしておいて、バカみたいに込み上げてくる笑いを必死で堪(コラ)えようとする、私。
「ニタニタして。バカみたいなことでも想像しているんだろ」
「と、とんでもない!」
やばいやばい、完全に見透かされている。
「たとえば、ほら、ソコに、古びた万年筆があるだろ」、と、本棚らしきところのその隅に置かれたアルミ製の角皿を指差す。
ナンてことない、ごくありふれた万年筆が、人知れず横たわっている。
おもむろに手を伸ばし、手に取ってみる。
この、使い古された万年筆が、ナラティブ?
「どこにでもあるようなセーラーの万年筆なんだけれど、あの高島屋で、母親に買ってもらった、生まれて初めて手にした万年筆なわけよ」
「まだ使えるのですか」
「使える使える、満身創痍とはいえ、まだまだ現役」
「昔のモノって、モノにもよるのでしょうけど、ホントに寿命が長いですよね」
「そう、その通り。丁寧に使えば、長く使える。で、その横にあるインク瓶。それは残念ながらその時のモノじゃないんだけれど、なぜか、その時買ってくれたインクが、母親イチオシのブルーブラックという色で、それからというもの、ずっとインクはブルーブラックと決めている」
懐かしそうに振り返るAくんの表情は、とても穏やかである。
「この万年筆に歴史あり、ですね」
「そうそう、それだよ、それ」
「えっ」
「モノが、単なるモノから、歴史やら物語やらの語り部(ベ)となる」
なるほど、語り部、か~。おそらく、ナラティブとは、そういうことなのだろう。
「でもね、いいことばかりじゃない」
「えっ」
「たとえば、人を評価なんてしたくないんだけれど、致し方なく、評価しなければならないとき、や、人に期待なんてしたくないんだけれど、致し方なく、期待しなければならないとき、に、そうした、その人に纏(マツ)わる物語によって、惑わされ、誤魔化され、判断を誤ってしまう、なんてことも、あり得るということだ」
わっ、一気に話がヤヤこしくなってくる。(つづく)