はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と八
「チヂコマッテ ホドホド」
Aくんも私も、結構いろいろなモノが苦手だ。
経済も政治も科学もネットもマスメディアもアレもコレも、と、世界は苦手なモノに溢れている。
にもかかわらず、そんな苦手なモノに、なぜか期待をして、アレコレと宣ってしまうAくんであり私なのである。でも、ひょっとすると、苦手だからこそ、自分にはナニもできそうにないからこそ、してはいけない期待をしてしまうのかもしれない。
「世の中のアレやコレやに、どうしても期待してしまうよな~」、とAくん。
「自分のことを棚に上げて、相手にばかり期待するなよ、って話ですよね」、と私。
「そうなんだけど、でも、しちゃうよな~」
「してしまいますね」
たとえば、政策一つとってみても、その政策がピント外れのマト外れであったがために、取り返しがつかないほどの大切なモノを失うハメに、などということも、当然のごとくあり得るわけだから、政界の、いや、政界だけにはとどまらない各界の、その道の、責任あるプロフェッショナルたちには、どうしても、どうしても、してはいけないかもしれない期待を、してしまうのである。
「そんな中で、その立ち位置が、極めて難しくなってきたように感じるのが、マスメディア、なんだよな」
「マスメディア、ですか」
「そう。とくに、報道。この報道のあり方が、なんとなく、その枝葉どころか、幹から、根っこから、揺らぎ始めているように思えてならない、わけ」
「それは、先ほどの、センターポジションそのものが偏っているかも、という話に繋がったりしますか」
「繋がるね、繋がる。しかも、それだけでは収まらず、肝心要のコトから目を逸らし、無難に無難に、と、報道そのものの魂まで抜かれていく」
「魂まで抜かれていく、ですか」
「通り一遍に、と言ったほうがわかりやすいかもしれないかな。報道が、魂を抜かれ、縮んで、縮こまって、ほどほど、に、なる」
「ほうどう」が縮こまって「ほど」。で、「ほどほど」か~。
上手い!、と、拍手でも送りたいところだけれど、内容が内容だけに、喜んでいる場合ではないように思えて、フッと漏らした溜め息までもが、縮こまり気味だ。(つづく)