はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と四十七
「テイクウヒコウ・・・」
どれほどホットな話題であろうとも、ナニがナンでもクールに臨まなければならないメディアの、とくに、大手テレビ局やら大手新聞社やらが、いつの間にやらアレやコレやらの圧力に、プスンプスンとその魂が抜かれ始めて久しい、と、嘆くことしきりのAくん。大手メディアの在り方を愚痴ったところでナンの意味もないことぐらい、イヤほどわかってはいるけれど、「報道の自由度ランキング」なるものが発表される度に、条件反射のように繰り返し繰り返し愚痴ってしまう、という。
ほ、報道の、自由度ランキング?
そもそも「評価」や「ランキング」を好まない私は、報道の自由度ランキングなるものを全く存じ上げない。
「ナンなのですか、その報道の自由度ランキング、って」
「簡単にサラッと言ってしまうと、その国の報道の在り方から、その国の自由度が見て取れる、ということらしい。その、ランキング」
「で、どんな感じに評価されているのですか、この国の報道の在り方は」
するとAくん、不気味に、というか、呆れ果てて、というか、そんな、笑みともナンとも言えないような複雑な表情で、重く吐き捨てるように、「恥ずかしくなるぐらい、低い」、と。
一瞬、「えっ」と思ったが、秒速で、「やっぱり」と上書きされる。高いわけがないのである。
「頼みの大手メディアがアテにならないとなると、危険だよな~、かなり」
「ナニか大きな事件が起こる度に思うのですが、どの局も、どの社も、ナゼか、ワンカラー。限りなく同じ色に見えますよね」
「そう見えるということは、まさに、ソコに、自由がないということなんだろう」
う~ん・・・。
批判を避けるかのように、ドコも同じ切り口。まず、闇には切り込まない。
ダレかにとって都合がいいかのように、無難にこなす。
大衆の心をある方向に誘導するかのように、バカみたいに同じ映像を何度も何度もタレ流す。
・・・
こうして、このままずっと、そのランキングの中を低空飛行し続けるつもりなのだろうな、この国の大手メディアたちは。(つづく)