ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.708

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と四十九

「フテキセツダケレドモ イホウデハナイ」

 それでもやはり、必要な時、必要な法は必ず必要なのである。

 たとえば、限りなく人災にしか思えないような、そんなトンでもないことが起こってしまった時に、有識者らしき人が、妙に澄ました顔で、「不適切だけれども違法ではない」などと解説しているのを見たりてしまうと、どうしてもやっぱり、「じゃ、事前に法をつくっておけよ、今までナニをしてたんだ」、と、愚痴の一つもボロリと出てしまう。

 一般ピーポーたちのために、最悪を想定して法をつくり、法で守ることは、避けて通ってはいけない、とても大切なことのはずだ。

 先日も、ある地域が、トンでもない災害に見舞われた。おそらくその背後には、「開発」という名の、現行の法を掻い潜(クグ)ったあまりにも杜撰(ズサン)なナニかがあるのだろうな、と、この私でも、なんとなく感じる。

 「政治を司るピーポーたちって、その資質として、そもそもが、最悪を想定することが苦手なのかもしれないな」、とAくん。

 「いわゆる、仮定の話にはお答えできません、ってヤツですか」、と私。

 「あ~、マニュアル通りなのかもしれないけれど、マスメディアあたりから最悪の可能性を突っ込まれたりした際に、よく対処ツールとして使われる、あの、アレ、ね」

 この町の、この国の、この星の、未来に、一般ピーポーが抱く、不安、懸念、危惧、といったものに対して、そんな不確実な未来のことに、軽々しく答えるような無責任なことなどできるわけがないだろ、という、その手の独特な対処術、って、一体、ドコのダレが考え付いたのだろう。

 「トにもカクにも、法、なんてものは、弱者を救済するものであるべきだし、そうであってほしいし、だから、だからこそ、最悪を想定した、正真正銘の愛と正義のための法整備は、絶対に必要だと思うんだがな~」

(つづく)