ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.525

はしご酒(4軒目) その百と百と六十六

「フカンジャーズ!」

 引退されて、すでに十数年経つけれど、この国でもイタリアでも活躍した、ある、気持ちいいぐらい個性的なサッカー選手の、ある言葉が、とても印象的であった、とAくん。

 あるときから、もう一人の自分が、自分の目が、空からゲームを見ている、ような、そんな感覚になった、という。

 視点を変えることによって見えてくるものがある、ことの、奇跡的な、一つの好例であると、そのときAくんは、素直にそう思ったようだ。

 サッカー界に限らず、世の中には、彼のように、視点を変えることに、俯瞰(フカン)視点をもつことに、素晴らしく長けたヒーローたちがいる。そんなヒーローたちを、Aくんは、「フカンジャーズ」と呼ぶ。

 「でもね、ポツポツと姿を見せ始めているんだよな。大いなる勘違いのエセ(似非)フカンジャーズたちが」

 「エセ、フカンジャーズ、ですか」

 「俯瞰、という言葉の意味を、完全に履き違えている。というか、解釈の変更、というヤツかもしれない」 

 「解釈の、変更、ですか」

 「解釈なんてものは、解釈する側の人間性やら、考え方やら、そんなモロモロのやらやらで、どうとでもなってしまう、ということだな。もちろん、そんなことは、本来は、あってはいけないことなんだろうけれど」

 どう勘違いなのか、どう解釈の変更なのか、そこのあたりが、グチュグチュと気になってくる。

 「俯瞰とは、見えないものを見えるようにするための、心の目の、視点の、移動なのであって、決して、上から目線ということではない、と、僕は思っている。高い位置から見てみる、の、その、高い位置から、を、権力を握る者の目から、に、スルリとすげ替えてしまうあたりが、権力者の権力者たる所以だということなのだろうな」

 その、あまりにも稚拙な勘違いや、姑息な解釈の変更に、情けなくなると同時に、ちょっとした憤りさえ覚える。

 そんな、わけのわからないエセフカンジャーズたちに振り回されることなく、正統派フカンジャーズたちよ、自信をもって、突き進め!(つづく)