はしご酒(4軒目) その百と百と六十五
「キベンジャーズ!」
「詭弁(キベン)」に、「正論」の鎧(ヨロイ)を纏(マト)わせることに長けた、テクニカルな天才肌たちのことをAくんは、「キベンジャーズ」と呼ぶ。
こういった、一種のダークヒーローは、いつの時代においても、キラ星の如く登場してきたし、それなりの人気も支持も得てきた、という。
巧みな論点のすり替えも交えつつ、独自のわかりやすい理論展開に、歯に着せぬ物言いが付加されて、確固たる地位を確立。そして、それが、それとなく、さりげなく、権力側に寄り添っているのであれば尚更のこと、マスメディアにとっても都合がいいし、それなりの視聴率も期待できる。と、逆説的ながらもAくんの評価は、相当に高い。
「そんなキベンジャーズたちが、もち込もうとする論戦の特徴の一つに、勝ち負け、がある」
「勝ち負け、ですか」
「そう。勝つか負けるか、そのことが、最も重要視される」
「でも、そもそも、論戦なんて、そういうものではないのですか」
「そう言えなくもないけれど、影響力やら責任やらが、あまりにも大きい場合は、勝ち負けを最重要視することの危険性のほうが、むしろ、問題視される」
たしかに、コトの善悪が、勝ち負けによって左右されることの危険性は、私でも、なんとなくながら理解はできる。このことは、一部で流行りの住民投票などにも通じる。
「勝ち負けに囚われて、テクニカルな手法やらナンやらに、どうしても走りがちなキベンジャーズたちが大切にしなければならないことは、聞いている尻から、その隙を突いて口撃することばかりに躍起になるのではなく、まずは、真剣に聞くことであり、邪魔くさがらずに真摯に、シッカリと咀しゃくすることである、と思う」
そんなAくんの「キベンジャーズ」論を聞くにつけ、一つの確信めいたものに辿り着く。
それができないから、あの人たちは、立派なキベンジャーズになることができたのだろうな、きっと。
もちろん、誉め言葉ではない。(つづく)