ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.532

はしご酒(4軒目) その百と百と七十三

「ヤマジロ ジロジロジロリ」②

 「誰だったかは覚えていないけれど、どの民の、どの住まいの窓からも、煙が立ち上っていないことに、コレはエライことだと思った、ということらしいんだな」

 「火事?、じゃないか。煙が立ち上っていないことに驚いたのだから、・・・なんだろう」

 「竈(カマド)だよ、竈」

 「か、竈?、あ~、竈」

 「早朝、どの住まいの窓からも、竈の煙が立ち上っていない」

 「火を起こしていない」 

 「そう。朝ごはんの準備のための火を起こしていない。という、その光景を見て、民は困窮している、と、そう感じたその権力者は、それから数年間、納税を免除した、という」

 「見下ろす、ではなく、見渡す。見渡し、感じ取れる、その心の力が、愛の力が、大切だということですね」

 「そのことは、現代社会にも充分に通じる、本当の意味での俯瞰(フカン)そのものだ、とも、僕は思っている」

 「たとえば逆に、オッ、どの住まいからも竈の煙が立ち上っているな。民は潤っているようだ。ヨシッ、もっと納税してもらおう、と、権力者が動き出したとしたら、どうでしょう」、と、少し、ダークに問うてみる。

 「僕なら、・・・、竈は使わない。火は起こさない。民が民として、細やかなる幸せに浸ろうとするその気持ちに、権力者が寄り添ってくれないのなら、迷わずに、そうする」

 そんな「民と竈の煙と権力者」論を聞いているうちに、なんとなく、Aくんが赴いた山城の、その、かつての城主たちは、どんな思いで下界を見渡していたのだろう、と、思いを馳せる。

 山城からジロジロジロリ。

 心の力でジロジロジロリ。

 愛の力でジロジロジロリ。

(つづく)