ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.506

はしご酒(4軒目) その百と百と四十七

「ワタシノヨウナ フツウノニンゲンデモ ドリョクヲスレバ」②

 見えないなりに、少し気になる点について、Aくんに問うてみる。

 「口に出さない、ということもまた、一歩間違えると、罪深いことになりはしませんか」

 するとAくん、「たしかに、口に出してくれたおかげで、その人のものの考え方が見えてくる、ということはあるかもしれない。そういう意味では、口に出すこともまた良し、と、言えなくもないかな」

 あまりにもアッサリと、私の意見に賛意を示してくれたものだから、少し面食らう。

 「じゃ、彼の、その、言葉から垣間見える、その、ものの考え方について、考えてみよう。その、ドコに、巨大な良くない、に、変異するかもしれない危険な臭い、が、漂っているのか」

 またまた難しくなってきた。危険な臭いの出所(デドコロ)など見当もつかない、それどころか、Aくん、あまりにも考えすぎじゃないのか、とさえ思えてくる。

 「僕は、努力は、その、量と質に裏打ちされる、と、思っている」 

 量と質、ソレは理解できる。

 「そして、とくに問われるべきは、その、質、だとも、思っている」

 質、コレも理解できる。

 「はたして、我々が普通に考えるような、そんな真っ当な努力で、努力だけで、権力などというものを握ることができる、そんな立場になるなんてことが、あり得るのだろうか、という思いが、僕の中には、根強くある」

 真っ当な努力、か~。

 ナニをもって、その努力を、真っ当だとか真っ当じゃないとか、と、判断するのか、なんてことは、私にはわからないけれど、Aくんが抱くその疑念は、なんとなくながら理解できる。

 「そもそも、そんな立場を手に入れる、ソコまでの努力など、どうでもいい。だから、そんなことは、わざわざ口に出さなくていい。重要なのは、ソコまで、ではなく、ソコから、なのだから」

 仮に、Aくんが言うように、ソコまでの努力が、真っ当な努力でなかったとしたら、おそらく、重要であるべき「ソコから」の前途は、イヤになってくるほど多難であろうな、というぐらいの察しはつく。当人が、ソレを多難と思うかどうかは、私の知る由もないことだが。(つづく)