はしご酒(4軒目) その百と百と四十一
「ビトク ノ オトシアナ」②
「コトの検証も真相の究明も、その目的は、個人に対する糾弾ではない。重要なのは、そのヒトではなく、そのコトが、どうであったのか、ソコに問題はなかったのか、仮に、あったとしたならば、そのドコに問題があったのか、を、いま一度、振り返り、掘り下げることによって、未来に活かしていく、ことなんだ」
未来に活かしていく、か~。
なるほど、それなりに理解はできる。しかしながら、どうしてもソコに、美徳が繋がってこない。
なぜ、美徳が足を引っ張るのか、美徳のナゾは、さらなる深みにはまり、より一層、混沌とする。
その混沌を払い除けるように、Aくんの、熱き「ヒトではなくコトなんだ」理論は、続く。
「コトではなく、ヒトに、目が行きがちだから、どうしても、ウヤムヤになりがち、なのだ。極端かもしれないけれど、この際、いい人とか悪い人とか、元気だからとか元気じゃないとか、苦労人だからとか苦労なんて微塵もしていないとか、居座っているとか一線を退いたとか、頑張ったとか頑張ってこなかったとか、といった、そんな、とかとかとかは、ほとんど関係なんてなくて、それどころか、むしろ、そうした個人にへばり付くモロモロが、かえって邪魔になる、足を引っ張る」
なんとなく、見えてくるものがある。
「つまり、個人にへばり付くモロモロが、美徳にさえも影響を及ぼし、もういいじゃないか、済んだことだし、体調も良くないようだし、一線を退くわけだし、そんな、去りゆく人の背後から、さらにダメ押しの一発を喰らわすようなことって、人の道として、どうなんだろう、みたいな、そういう感じになりにけり、ということですか」
自分なりに見えてきたこと、理解できたこと、を、考えつくまま、ドドドドドッと喋りまくってみせる。
するとAくん、「この国が、太古から大切にしてきた、人として生きていくための美学とも言える、美徳、というものに、反する、ことになるのだろうな、きっと」、と。
だから、ヒトではなくコトに、我々は目を向けなければならない、ということなのだろう。そのAくんの指摘、紆余曲折しつつも、ようやくストンと腑に落ちる。
最初のうちは、Aくんが、ナニを言いたいのか、全くもってわからなかっただけに、危うく、美徳の落とし穴にでも不時着してしまいそうな勢いであったのだけれど、どうにかこうにか目的地に、無事、着陸することができた私は、ホッと胸を撫で下ろす。(つづく)