ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.897

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と二十八

「ジダイ ハ ニゲルナ カラ ニゲロ ヘ」

 Aくんの、「時代」シリーズ三連荘(チャン)に、私は、もうかなり満腹気味なのだけれど、更に、更に、以前から気になっているこの国のある変化がある、とAくん、怒濤の四連荘に突入する。

 「ココにきて時代は、『逃げるな』から『逃げろ』へと変化しつつあるんじゃないか、ってね」

 逃げるな、から、逃げろ?

 「関係を断ち切れるモノならば、そのモノから、とにかく『逃げろ』」

 関係を断ち切れるモノならば?

 「じゃ、断ち切れないモノからは逃げるな、ということですか」

 「仮に断ち切ったとしても、自分に、自分たちに、その火の粉が及ぶモノは、それは断ち切ったことにはならないわけだろ。違うかい。つまり、つまりだ、逃げられないモノからは逃げられない」

 逃げられないモノからは逃げられない、か~。

 う~ん、そう自信満々に言われると、たしかにそんな気もしなくはない。だけれども、じゃ、結局は、逃げられないのではないか、という思いもプクプクと膨らんでくる。

 私が不服そうな表情を見せていたからだろう、更に、Aくん、熱く、その理論を展開する。

 「僕はね、己の心を壊してはいけない。と、思っている。いったん壊れてしまうと、もう、そう簡単には修復できない。どころか、場合によっては、無意識の内に『死』さえも選んでしまうことだって、充分にあり得る。だから、だからこそ、壊れてしまうぐらいなら『逃げろ』ということだ」

 心が壊れてしまうぐらいなら、逃げろ、か~。

 「もちろん、それなりにリスクはあるのだろうけれど、イヤでイヤで仕方がないのなら、辛くて辛くて仕方がないのなら、そして、ソコに、未来の自分の姿が想像できないのなら、トにもカクにも今すぐトットと『逃げろ』」

 あらためて考えてみると、いつのまにか、逃げ出すコトの罪悪感みたいなモノが、私たちの心の中に植え付けられているような気はする。その罪悪感が、ソコから逃げ出したいピーポーたちの足を思いっ切り引っ張っているのだろう。だがしかし、万が一にもそうした罪悪感がピーポーたちを『死』に至らしてしまうとするなら、ココはやっぱり、「罪悪感などクソ喰らえ!」、なのかもしれない。

 ただ、先ほどの「逃げられないモノからは逃げられない」という言葉だけは、未消化のまま、まだまだベッタリとへばり付き、引っ掛かったままだ。(つづく)