はしご酒(4軒目) その百と百と五
「イノチ イノイチバン」②
「い、の、ち、命、って、なんだと思う?」
わ~、ひょっとしたら苦手分野かも、と、とっさに、私の中の中古で旧式のコンピューターが、警告ランプを忙(セワ)しく点滅させている。「死んじゃったのかな」と、皆が心配していたことなど、Aくんに伝えなきゃよかった、と、少し悔いる。
「い、の、ち、ですか」
「そう、命」
考えたこともない、というわけではないけれど、トコトン突き詰めたことは、ないかもしれない。とくに若いときは、生きていることが当たり前としか思えたかったから、よほどのことに直面しない限り、あえて、そんなコト、考える必要もなく、ススッと、そんなコトのその前を、気付かないふりをして、素通りしてきたような気がする。
どう答えていいのか、わからないまま沈黙していると、すかさずAくん、別の球を投げ込んでくる。
「たとえば、命を感じる瞬間、って、どんなときだろう」
見事な変化球である。
「感じる瞬間、ですか。滅多にありませんが、・・・、両親が亡くなったときは、その命が、ス~っと萎んでいくような、消えいくような、そんな感覚は、たしかに、あったかな~」
「ソコにあるときには、ほとんど感じないものが、今まさに、消えてなくなろうとするそのときに、はじめて、その命、というものが、ソコにある、ということを感じられる、とは、因果なものだな」
因果なもの、か~。・・・、因果なものなのかもしれないな。
大切なものに限って、なぜか、ソコにあることに気付けない、ソコにあるのに見えない。皮肉なことだが、そういうものなのだろう、きっと。(つづく)