ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1002

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と三十三

「ソコカラ ニゲロ!」①

 「つまり、つまりだ。体内のナチュラルキラー細胞が、プッスンプッスンとパワーダウンし始めて、もうヘロヘロだな、と、リアルに思うようになったら、ツベコベ言わずにナニがナンでもソコから逃げろ!、ってコトだよな」

 ツベコベ言わずにナニがナンでもソコから逃げろ、か~。

 「しかし、現実は、そう簡単にはソコから逃げられなかったりするものだから、厄介なコトになってしまうのでしょうね」

 「ま、究極の自分本位だからな。普通は、罪悪感に苛(サイナ)まれる」

 究極の自分本位、か~。

 そう言われると、たしかにそうだ。

 「背負っている責任を放り投げてソコから逃げるというのか。自分さえ良ければいいのか。あまりにも利己主義というものだろ。などなどと、バババババ~ッとバッシングやらナンやらをされまくったりするとなると、そりゃ、そう簡単にはソコから逃げられないだろうよ」

 わ~。いつものようにネガティブ領域に、二人して舵を切り出した感が歪めない。このままだと、その領域から逃げ出せなくなってしまうかもしれない。どうにかして、面舵でも取り舵でもナンでもいいから、とにかく、その「いっぱい」を大急ぎで試みないことには、またまた、「結局、ソコからは逃げられない、ということだな」、などと、重く暗く呟きながら、エンディングを迎えることにもなりかねない。

 面舵いっぱ~い。

 取り舵、いっぱ~い。

 しかしながら、その「いっぱい」を、どう試みればいいのか。が、サッパリわからない。

 すると、ナゼか、あの頃の学校の先生たちの顔やらお説教やらが、頭の中にバババババ~ッと蘇ってくる。

 「辛いコトから逃げるな。逃げていてはナニも解決しないし、成長だってできないぞ」

 そんな感じであったように記憶する。

 もちろん、全否定はしない。たしかに、そうした言葉に勇気付けられたこともあったのである。しかし、もう、心底、限界だと思っている時に、あの頃の先生たちの熱き言葉は、やはり重た過ぎる。

 「今、学校の先生たちは、目の前の、ソコから逃げたいとモガいている子どもたちに、どのように声を掛けるのか。掛けているのか。が、気になって仕方がないのですが」、と、起死回生のその「いっぱい」になることも期待しつつ、元学校の先生のAくんに、私が抱いている疑問をそのままぶつけてみる。

 「どのように声を、ね~」

 そう呟いたあとAくんは、なんと、またまた沈黙の扉を開けてしまったのである。(つづく)