ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.465

はしご酒(4軒目) その百と百と六

「イノチ イノイチバン」③

 「でもね、命が、生(セイ)が、永遠ではないから、文学が、音楽が、アートが、モロモロが、この世に生まれた、と言っても過言ではない、とも思っている」、とAくん。

 そういえば、あの「能」も、死の世界、を、彷徨(サマヨ)っているような、そんな感触がある。

 「だけれども、だからといって、死を美化することは、あってはならない。命も、死も、弄(モテアソ)んではいけないし、弄ばれてもいけない、はずだ」、と、さらにキッパリとAくん。

 予想通り、難しくなってきた。

 メラメラと熱く続く、Aくんの「命と死」論に、私は、あらん限り集中させた私の両耳をロックオンして、ジッと聞き入る。

 「ときとして、人の魂は、哀しいほど脆(モロ)く弱く、その小刻みに震える魂の隙間に、誰にも気付かれないように、スルリスルリと忍び寄り、入り込んでくる、得体の知れない魔物がいる。その魔物は、命を、生を、人知れず、ユルリユルリと弄ぼうとする、という、そんなイメージなんだな」

 ふと、ある上方落語の爆笑王のことを思い出す。

 彼は、ある日、自ら命を絶つ。

 そのことを知ったとき、なぜそんなことを、と、死ななくてもいいのに、と、もったいない、と、弱い人だったんだな、と、そんな、とととと、を、上から目線で、偉そうに、なぜか、そのときの私は、次から次へと思ったりしていたのである。

 それから、それなりに時間が経過したある日、彼の息子さんが、あるTVのドキュメンタリー番組で、静かに、凛と、語っている姿を目にする。

 癌と同じです。心の癌です。心の癌で、父は病死したんです。父は癌で死んだんだと思っています。

 記憶が曖昧で、微妙にニュアンスは違うかもしれないが、ほぼ、こんな感じであったと思う。

 ナニもわかっていないのに、ナニも知らないのに、上から目線で、偉そうな、そんな愚かなる思考の沼に、ズブズブと沈んでいこうとしていた私には、その息子さんの言葉が、信じられないほどストンと腑に落ちたし、目からウロコでもあったことを、今でも覚えている。(つづく)