はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と五十九
空前絶後の大災害が起こった際、すぐさま、負傷者の全員を助けることなんて、到底できない、ということから生まれた悲劇の言葉が、トリアージ。そして、この言葉が、命の選別とも言われるその理由は、まさにソコにあるのだろう。つまり、とにもかくにもその大前提は、空前絶後の大災害が一瞬にして起こってしまった、その、致し方ない「時」である、ということに尽きるわけだ。
しかしながら、たとえば、感染症のように、長い時間をかけながらジワジワと広がっていくような場合に、それまでの、最悪時を想定した危機管理の不備を棚に上げて、ナンの説明も反省も謝罪もなく、そんなトリアージみたいな施策を、居直って、平然と講じ始めたとしたら、そりゃやっぱり、それってどうなんだ、って、突っ込みの一つでも入れてみたくなるのが、普通だろ。申し訳ないけど、それは、もう、「アホか!」以外のナニものでもない、というコトに、なりはしないかい。
そんなふうに、そんなコトをアレコレと、ブツブツとグツグツと熱く独り言ちりついでに、Aくん、吐き捨てるように、「弱者は、どんなトンでもないコトが起こったとしても、運が悪かったんだ、と、諦めてくれたまえ、って、ことなんじゃないの」、と。
な、なんと。
「更に怖しいことは、おそらくシモジモじゃない誰かにとって都合よく歪んでしまった教育によって、弱者が、いつのまにか、世の中に迷惑かけちゃ~申し訳ないので諦めます、みたいな、そんなことになってしまいかけているんじゃないのか、ってコトなんだよな~」
な、な、なんという合法もどきトリアージ。
な、な、な、なんという洗脳まみれトリアージ、なのだろう。(つづく)