はしご酒(4軒目) その五十八
「ワタシ ノ ナカ ノ ダークサイド」
たとえば、死刑制度。
私は、反対である。人が人を「死」をもって処罰する、などというその発想自体、到底、理解できるものではない。
にもかかわらず、もう一人の私が、ときおり耳打ちする。
あなたの最愛の人の命が、無残にも奪われたとしたらどうだ。死刑もまた致し方なし、とは思えないかね、と。
たとえば、子どもの人権。
子どもたちの人権は、どこまでも守られるべきであると、強く思っている。子どもたちが、夢をもって、イキイキと、生きていこうとするその権利を、大人ごときが奪うことなど許されるはずがない。
にもかかわらず、もう一人の私が、ときおり耳打ちする。
与えられ過ぎた権利ほど、子どもにとってマイナスなものはない、とは思えないかね。与えられた必要最小限の権利をベースに、自ら勝ち取った権利を上乗せしていく。その「勝ち取っていく」過程の中で、子どもたちは、逞(タクマ)しく成長するのだ、と。
そんな、ダークサイドにいるもう一人の私の危険思想の一部を、ポロリとAくんに告白してみる。
するとAくんは、そんな私を擁護するかのように、そこまでネガティブに考える必要などないと、何気に仄(ホノ)めかしつつ、静かに、こう呟く。
「世の中には、それなりの賛同を得られる、致し方のない危険思想よりも、ウンと危険で厄介な、腐敗した安全思想というものも、あるということだ」
腐敗した、安全思想?
ん~、腐敗した安全思想、とは、いったい。
・・・
パッと見は、ナンとなく良さそうに見えるモノの考え方も、思想も、よくよく見ると、その裏側からグチュグチュと腐り始めていることもある、ということなのだろうか。そして、あまりにもパッと見がいいものだから、恐ろしいことに、誰も、その腐敗に気付かない、気付けない。
仮に、そんな私の推測通りとするならば、コレほど恐ろしいコトはない、かも。(つづく)