ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.308

はしご酒(4軒目) その五十九

「ソコ ニ ナミダスルヒト ガ イレバ」

 「少し前、僕が尊敬するある人が、中東で、凶弾に倒れた」、と、かなり重い表情で語り始めたAくん。そのことは、ニュースで私も耳にした。この星の希望がまた一つ、消えてしまったな、という気がしたことをリアルに思い出す。

 「ハッキリとは覚えていないのだけれど、その彼が生前、そこに涙する人がいれば、どうしたんですか、と声を掛け、助けてあげたいな、と思う、それが人情というものだ、みたいなことを話していたんだよな」、と、Aくんは語り続ける。

 なるほど。

 口にするだけなら、誰にだって簡単にできるコトも、実際に、本気で、行動を起こす、となると、そんな簡単にできるコトではない。だからこそ、彼は、この星の希望であったのだ、と、あらためて思う。

 「人が弱っているときに、寄り添い、溶け込み、なすべきことに、共に、取り組む。そんな彼の行動と、人が弱っているときに、その国が弱っているときに、その弱みにつけ込んで、よし、弱っているぜ、今がチャンスだ、やれ侵攻だ、やれ介入だ、やれ高金利で金貸しだ、などといったコトとは、何億光年ほどの隔たりがあると、僕は思っている」

 そんなAくんの熱き語りを聞きながら、ナンとなく思う。

 人はなぜ、強大な力を手にすればするほど、本来もっているはずの「人情」というものから真逆の方向に舵を切り、ズルリズルリと嫌らしいまでに戦略的になっていくのだろう。

 こんなコトを宣うと、またまた「だから君はアマちゃんなんだ」などと言われてしまうかもしれないけれど、だからといって、戦略的な「カラちゃん」が正しい、ということには、絶対にならない。

 むしろ、シモジモであるアマちゃんたちではなく、シモジモじゃないカラちゃんたちが、バカみたいに強大なる力をもってしまったからこそ、この星は、そう簡単にはホッコリなどできない、そんなササクレた星になってしまったのではないのか、と、マジで思えてならないのである。(つづく)