ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.306

はしご酒(4軒目) その五十七

「ウラハラ ナ ウラハラ」②

 「パワハラには表と裏があるのではないか、と、かなり以前から思っているのですが」、とAくんに。

 ほ~、という表情を見せたAくんは、そこのところをもう少し具体的に、というような顔を返してくる。

 そんなAくんの声なき要望に応えるように、私は、「いま、ようやく話題になり、メスが入れられるようになったのが、ハデで目立ちやすい表のパワハラである『オモテハラ』で、その影に隠れた沈黙のパワハラである『ウラハラ』ってヤツが、きっといるにちがいない、と私は思っている」、と、一気に捲し立ててみる。

 「だから、裏腹(ウラハラ)に、なんて言い方が、この世には、あったりするわけか」、と、ナニやら新しいモノでも発見したかのような、ちょっと得意げなAくんに、「それは違うと思います」、と、間髪入れずに、とりあえず否定しておく。

 たとえば、「評価する」という行為。

 目立って仕方がない「オモテハラ」に対しては、細心の注意を払いながら、「評価」で静かにトドメを刺す、という、必殺仕事人の如く巧みなハラスメントである「ウラハラ」のことが、どうしても、どうしても気になって仕方がないのである。

 所詮、人が下す「評価」、絶対に正しいなんてことがあるはずもなく(もちろん、AIに任せればいい、というような単純な話でもない)、それゆえに、そこかしこで、評価という「ウラハラ」に怯(オビ)えた者たちの、忖度(ソンタク)や、媚(コ)びや、諂(ヘツラ)い、が、芽生えだすのだろうし、方向性を見誤った無理もするのだろう、と、思えてならない。

 すると、確信に満ちた表情をホンノリと浮かべながら、ユルリとAくんがトドメを刺す。

 「ということは、やっぱり、裏腹(ウラハラ)な、ウラハラ、ということだな」

 いつものコトのようにも思えるが、そう簡単には引き下がらない、ちょっと頑固な今宵のAくんなのである。

(つづく)