ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.88

水菓子 その五

「キョクセン ノ スゝメ」

 Aくんは、曲線が好きだ、と、よく言っていた。

 そう、曲線。

 曲線がもつ、その優しくてユルリとした感じが好きなのだそうだ。

 Aくんが、まだ、大学に通っていた頃の噺。

 専攻は違うが、たまたま授業が同じであったある学生が、角(カド)という角(カド)を取っ払って、全て、曲線にした子ども部屋を考案した、という。

 そう、「子どもたちがケガをしない子ども部屋」。

 ソコから考え出されたそのアイデアを聞いて、私は、ナンの抵抗もなく「素晴らしい!」と思ったのだけれど、教授は、「安全すぎる環境の中では、子どもは成長できない」と、けんもほろろに全否定したというから、驚いてしまった。「教育畑の先生であったからだな、きっと。たしかに一理ある」と、珍しく、ユルリと強者側の肩をもつAくん。しかしながら、私は、同じようにその教授の肩をもとうとはどうしても思えなかった。そして、ただただ、その学生の子どもたちに対するその思いに、優しさに、ジンワリと感動していたのである。

 Aくんは、その教授の肩をもちはしたけれど、直線的なモノに対しては、あまり好意的ではない。

 「現代は、悲しいかな、直線の時代だ。そして、結果を焦る教育界もまた然り。本来この国は『曲線』の国なのだ」、と、少々語気を強めて語っていたことを思い出す。

 本来は、曲線の国。曲線の、国、か~。

 私なりに少し考えてみる。

 考えてみると、この国の、曖昧と受け取られがちなコミュニケーションも、直線的というよりは、ドチラかというと曲線的だ。それに、古(イニシエ)より「急がば回れ」などと言われてもいる。

 そう、急がば、回れ。

 クルリクルリとマ~ルく回る、そんなジレったささえも一種の美徳と捉える、この国の、コミュニケーションのこの感じ。まさに曲線の美学、実に贅沢な、美学そのものではないか。違うかい。

 違わない、違わないだろ。

 だって、普通なら、直線的に、手っ取り早く、済ませてしまえばいいところを、あえて、あえての、「急がば回れ」なのだから。

 そうそうそうそう、そういうこと。そういうことなんだよね。

 う、うわっ。

 なんだか、いつのまにか、一人二役で小芝居を打っている変なおじさんみたいなことになっていたものだから、慌てて周囲に目をやる。

 大丈夫。誰もコチラを見ていない。幸い、声に出していなかったようだ。

 角という角を全て取っ払った曲線だけの子ども部屋は、残念ながら教授に全否定されてしまったけれど、そうした緩やかな曲線が、そうしたユルユルにマ~ルく回る曲線が、私も好きだ。というか、私自身が、この体内からできる限り直線的なモノを取っ払った、そんな、ユルリユルリとした美しい曲線そのモノ、に、なりたいのである。(つづく)