はしご酒(4軒目) その五
「シバイゴヤ ト デンパケイ」⑤
そんな膨らみ続ける疑問で、すっかり私の胃袋は膨満感、ではあったのだけれど、なんとなく口寂しかったのか、ほとんど無意識に目の前の酢の物を一つ、つまむ。
うまいな、これ。
なんの意識も期待もしていなかっただけに、少々驚いてしまった私は、おもわず心の中で唸る。
そんな私に、「町の人たちにとってのコミュニティの要、言い換えるならば、扇の要、のような、そんな存在の芝居小屋であったらしい」、と語り出したAくん。勘違いかもしれないけれど、彼の瞳の中に、その衰萎の歴史に対する「どうにかならなかったのだろうか」という失意が、チラリと見て取れたような気がした。
「やっぱり」
「ん?」
「やっぱり、芝居小屋だったんですね」
「すごいな、あの建物の外観だけで、そう感じたってこと?」
「いや~、なんとなくですけど」
遠慮しながらそう返したものの、正直、神通力のようなものが、自分にはあるのではないか、と、マジに思ってしまう。それほど、マジになにかを感じたのである。
「扇の要、単にそこに建物があった、単にそこで芝居が演じられた、だけ、ということではないんだよな~」
「それが扇の要、なんですか?」
「そう、その町で暮らす人々が集い、そして繋がる、という意味の扇の要ね。そこが、そこのトコロが、TVに始まってネットに至る、あの、実に個人主義的な電波系、との大きな違いだな」
個人主義的な電波系か~、いまや時代の申し子とも言える「電波系」、その台頭こそが、この国のナニか大切なモノを失わせつつあるのかもしれない、と、Aくんの「芝居小屋と電波系」理論を、いまここで聞くにつけ、あらためてジワジワと思う。(つづく)