ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.234

はしご酒(3軒目) その六十三

「ミョウリ ニ ツキル」

 ナゼだかわからないが、復活の狼煙(ノロシ)を上げたZ’さんの、熱き「教育は柔(ジュウ)のチカラなり」理論に耳を傾けているうちに、ふと、ある言葉が頭に浮かぶ。

 「冥利(ミョウリ)に尽きる」。

 そう、冥利に、尽きる。

 なんとなく使ってきた言葉ではあるけれど、あらためて考えてみると、「冥利」からしてナゾめいていて、その冥利が尽きるとは、いったい、ナンなのか。まさにナゾがナゾ呼ぶナゾナゾワールド。油断していると、ズルズルと、迷宮に引き摺り込まれてしまいそうだ。

 ソコを、無理やり、強引に、その上っ面だけで直訳すると、「冥土(メイド)からの御利益」とでもなるのだろうか。

 そう、冥土からの、御利益。

 では、冥土とは、いったい、ナンなのか。極楽浄土とは一味も二味も違う、この「冥土」。申し訳ないが、あまりいいイメージはない。極楽浄土がヘブン(heaven)なら、さしずめ、冥土は、ヘル(hell)。つまり、ヘルからの御利益。ナンのことやら、ほとんど意味不明。それゆえ、本格的に、ズルズルと、迷宮に引き摺り込まれていく。

 ん~、・・・ん!?

 もう一つ、ふと、ある言葉が頭に浮かぶ。

 「地獄で仏」

 そう、地獄で、仏。

 当たらずといえども遠からず。冥土からの御利益は、その道は、苦しくて、辛くて、タイヘンだけれど、コツコツと努力し続けてさえいれば、ある日、突然、仏さまが舞い降りてきて、みたいな、そんな感じの言葉なのかもしれない。

 たとえば、先生冥利に尽きる。

 そう、先生、冥利に、尽きる。

 「先生冥利に尽きる、なんて、いまどきの先生は、思わないのでしょうか」、と私。

 すると。

 唐突な問い掛けであるにもかかわらず、Z’さん、躊躇することなく、即答。

 「もちろん、思うでしょ。そうでない先生もいるだろうけれど、そんな先生をもって、この国の、この今の、学校を、教育を、先生たちを、語ることは、好ましいことではない」

 たしかに好ましくない。

 学校の先生に限らず、どんな職種であっても、一部のいい加減なピーポーたちの愚行をもって、その職種全体を、その職種に就くピーポーたち全員を、「低下したよね~」などと評することは、あってはならないと私も思う。

 「その『先生冥利に尽きる』という、その一瞬のおかげで、ココまでガンバってこれた、コレからもガンバっていける、という思い、リアルにあるから」

 その一瞬のおかげで、ガンバれる、か~。

 残念ながら、私自身は、その「冥利に尽きる」感、手にしたことはないかもしれない。けれど、その一瞬が、「もう、やってられない、やめてやる~」にエナジーのようなナニかを与えてくれる、というコトは、そんな私でもナンとなくわかる。

 きっと、その一瞬が、たまにあったりするものだから、ドウにかコウにかギリギリのところで、学校の先生たちは、「よし、もうちょっとガンバってみるか~」と前向きに、気持ちを切り替えれているのだろう。そんな気がする。(つづく)