はしご酒(3軒目) その六十三
「ミョウリ ニ ツキル」
ナゼだかわからないが、復活の狼煙(ノロシ)を上げたZ’さんの、熱き「教育は柔(ジュウ)のチカラなり」理論に耳を傾けているうちに、ふと、ある言葉が頭に浮かぶ。
「冥利(ミョウリ)に尽きる」。
そう、冥利に、尽きる。
なんとなく使ってきた言葉ではあるけれど、あらためて考えてみると、「冥利」からしてナゾめいていて、その冥利が尽きるとは、いったい、ナンなのか。まさにナゾがナゾ呼ぶナゾナゾワールド。油断していると、ズルズルと、迷宮に引き摺り込まれてしまいそうだ。
ソコを、無理やり、強引に、その上っ面だけで直訳すると、「冥土(メイド)からの御利益」とでもなるのだろうか。
そう、冥土からの、御利益。
では、冥土とは、いったい、ナンなのか。極楽浄土とは一味も二味も違う、この「冥土」。申し訳ないが、あまりいいイメージはない。極楽浄土がヘブン(heaven)なら、さしずめ、冥土は、ヘル(hell)。つまり、ヘルからの御利益。ナンのことやら、ほとんど意味不明。それゆえ、本格的に、ズルズルと、迷宮に引き摺り込まれていく。
ん~、・・・ん!?
もう一つ、ふと、ある言葉が頭に浮かぶ。
「地獄で仏」
そう、地獄で、仏。
当たらずといえども遠からず。冥土からの御利益は、その道は、苦しくて、辛くて、タイヘンだけれど、コツコツと努力し続けてさえいれば、ある日、突然、仏さまが舞い降りてきて、みたいな、そんな感じの言葉なのかもしれない。
たとえば、先生冥利に尽きる。
そう、先生、冥利に、尽きる。
「先生冥利に尽きる、なんて、いまどきの先生は、思わないのでしょうか」、と私。
すると。
唐突な問い掛けであるにもかかわらず、Z’さん、躊躇することなく、即答。
「もちろん、思うでしょ。そうでない先生もいるだろうけれど、そんな先生をもって、この国の、この今の、学校を、教育を、先生たちを、語ることは、好ましいことではない」
たしかに好ましくない。
学校の先生に限らず、どんな職種であっても、一部のいい加減なピーポーたちの愚行をもって、その職種全体を、その職種に就くピーポーたち全員を、「低下したよね~」などと評することは、あってはならないと私も思う。
「その『先生冥利に尽きる』という、その一瞬のおかげで、ココまでガンバってこれた、コレからもガンバっていける、という思い、リアルにあるから」
その一瞬のおかげで、ガンバれる、か~。
残念ながら、私自身は、その「冥利に尽きる」感、手にしたことはないかもしれない。けれど、その一瞬が、「もう、やってられない、やめてやる~」にエナジーのようなナニかを与えてくれる、というコトは、そんな私でもナンとなくわかる。
きっと、その一瞬が、たまにあったりするものだから、ドウにかコウにかギリギリのところで、学校の先生たちは、「よし、もうちょっとガンバってみるか~」と前向きに、気持ちを切り替えれているのだろう。そんな気がする。(つづく)