ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.160

はしご酒(2軒目) その六十二

「タノマレル ニ ノマレル」③

 残念ながら、その答え、考えても考えても、そう簡単には見つかりそうにない。

 それゆえ、断ることができない、そんな心底生マジメなピーポーたちのことが、余計、マジで心配になってくる。

 とはいうものの、そうした私の心配を横目に、巷には、「やる前から無理ですでは進歩も成長もありえない。気合いだ、気合いだ、気合いだ~」などという、根強い正論もどきが、胸を張ってエラそうに、ドド~ンと鎮座しているのもまた事実。ソレも一理あるかな、と、思う面もないわけではないけれど、その正論もどきを行使するためには、疎(オロソ)かにできない極めて大事なコトがある、と、私は思っている。

 そう、疎かにできない極めて大事なコト。

 ソレは、「見極める」、「判断する」、そのチカラである。そのチカラの不足が、場合によっては、トンでもない悲劇さえも生んでしまいかねない。

 そう、見極めるチカラ。判断するチカラ。

 頼む側も、頼まれる側も、そのチカラの不足から、大事なコトとは真逆の怪しきモノに呑まれてしまい、個々がもつ能力、その力量、を、見誤る。的確な判断をし損ねる。と、いうコトが、結構、そこかしこであったりするのではないか、と、私は、かなり訝(イブカ)っている。しかも、その判断の誤りは、場合によっては「命」にさえ直結しかねないのである。

 その危険性を、私たちは、絶対に忘れるべきではない。

 頼むは、呑む。

 頼まれるは、呑まれる。

 もちろん、語源でもナンでもないだろうけれど、なんだか妙に似ている。

 どんなに旨い酒も、「頼まれる」も、呑まれてしまっては、もう、どうしようもない。

(つづく)