はしご酒(2軒目) その六十二
「タノマレル ニ ノマレル」③
残念ながら、その答え、考えても考えても、そう簡単には見つかりそうにない。
それゆえ、断ることができない、そんな心底生マジメなピーポーたちのことが、余計、マジで心配になってくる。
とはいうものの、そうした私の心配を横目に、巷には、「やる前から無理ですでは進歩も成長もありえない。気合いだ、気合いだ、気合いだ~」などという、根強い正論もどきが、胸を張ってエラそうに、ドド~ンと鎮座しているのもまた事実。ソレも一理あるかな、と、思う面もないわけではないけれど、その正論もどきを行使するためには、疎(オロソ)かにできない極めて大事なコトがある、と、私は思っている。
そう、疎かにできない極めて大事なコト。
ソレは、「見極める」、「判断する」、そのチカラである。そのチカラの不足が、場合によっては、トンでもない悲劇さえも生んでしまいかねない。
そう、見極めるチカラ。判断するチカラ。
頼む側も、頼まれる側も、そのチカラの不足から、大事なコトとは真逆の怪しきモノに呑まれてしまい、個々がもつ能力、その力量、を、見誤る。的確な判断をし損ねる。と、いうコトが、結構、そこかしこであったりするのではないか、と、私は、かなり訝(イブカ)っている。しかも、その判断の誤りは、場合によっては「命」にさえ直結しかねないのである。
その危険性を、私たちは、絶対に忘れるべきではない。
頼むは、呑む。
頼まれるは、呑まれる。
もちろん、語源でもナンでもないだろうけれど、なんだか妙に似ている。
どんなに旨い酒も、「頼まれる」も、呑まれてしまっては、もう、どうしようもない。
(つづく)