ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.153

はしご酒(2軒目) その五十五

「マナー!」

 冷房車両などない電車が当たり前であったあの頃、真夏の車内を冷やしてくれるモノといえば、(ショボい扇風機もあるにはあったが)窓から吹き込む風ぐらいであった。しかも、そう感じただけで、実際のところその風は、車内の気温を上げることはあっても下げることはなかったように思える。

 それでもやはり、そう感じるだけであったかもしれないその風は貴重で、車内に入れ込むために、もちろん窓はフルオープン。思いっ切り顔を出してクールダウンに励む子どももいたりして、ちょっと危ない感じではあった。でも、当時、その程度の危険性なんて些細なコトで、問題にもナニにもならなかった。

 そんな時代の、記憶。

 そして、そんな時代の私の記憶の中のプラットホームには、もう一つ、今となっては信じられない光景があった。

 それは。

 「列」がない。

 そう、列がなかったのだ。

 あの頃の電車を待つ人たちの頭には、二列に並んで待つ、などという発想は、まだ、生まれていなかったのである。

 それどころか、私は、母の指令を全うせんがために、何度か、扉が開く前の車内に窓から侵入したことがある。

 横長の座席に突っ伏し、両手両足をできる限り伸ばして数人分のスペースを確保。そして、家族全員から賞賛を浴びる。と、いう、完璧に不道徳でマナー違反、な、トンでもない行動であるにもかかわらず、見事なまでに家族全員の細やかなる幸せに繋がる、みたいな、そんな、ナンともカンともな古き良き時代の懐かしい思い出である。もちろん、誰からも注意を受けたことはない。どころか、「スゴいな、坊主」などと誉めてさえもらえた。ま、誉めれくれたわけじゃ、なかったのかもしれないが。

 あの頃に比べ、現代社会は、飛躍的に成長、拡大、定着した「マナー」の時代であると言っても過言ではない。と、思う。あの頃の私のような少年を見かけることは、まず、もう、ないだろう。

 そう、「マナー」の時代の到来。

 ソレは、たしかに良いコトだと思う。

 だとは思うけれど、では、なぜ、ソレほどまでに「マナー」が成長、拡大、定着を遂げた現代社会であるにもかかわらず、あの頃、誰もが想像すらしなかったような極悪非道な凶悪犯罪が多発するようになってしまったのか。

 そのコトが、不思議で、本当に不思議でならない。

 そんな感じでブツブツと独り言ちていると、突然、Oくん、「マナー、ちゅうもんと、人のココロの成長、っちゅうもんとが、リンクしてへん、って、ことなんかもしれまへんな」、と。

 マナー、と、人の心の成長とが、リンクしていない?

 ん~・・・。

 かもしれない、か。

 「人の心が」

 ん?、お兄さんの乱入だ。

 「人の心が壊れ始めたから」

 んん?

 「壊れ始めたから、壊れ始めた時代だから、マナーとかルールとかが必要になってきた、だけのコトなのかもしれませんよ」、と。

 ボソリとそう呟きながら私のお猪口に酒を注いでくれたお兄さんの、その、何気ないコトバが、私の耳の奥の鼓膜あたりにベットリとへばり付く。(つづく)