はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と二十九
「ゲダツ!」
この現実から逃げ出したい。でも、逃げ出せない。だけど・・・。
結局、「この感じ」なのだろう。いったん、体内の至るところに纏(マト)わり付き始めた「この感じ」を追い払うことは、残念ながら、容易いことではない。
理不尽。
不条理。
無慈悲。
虚無感。
無力感。
・・・。
「この感じ」が引き寄せた、脈絡も取り止めもない三文字熟語たちが、パパパパパッとストロボの点滅のように頭の中を飛び回る。最初の内はまだ、それなりに軽快に飛び回っているのだけれど、しばらくすると、徐々にその動きは鈍く重くなって、やがてポトポトと地面に落ちる。そして、落ちた途端にソレらは、ズブズブと地中深くに沈んでいく。おそらくもう這い上がれそうにない。それどころか根を張り、芽吹き、花を咲かせ、一層鈍く重い実を付ける。
「この感じ」なのだ。どこまでも続いていきそうな、息苦しい、鈍く重い「この感じ」。
時代が今、「逃げない」から「逃げろ」へと変化しつつあるのも、もうすでに、その背後に、「この感じ」がネットリと根付き出している、から、なのだろう。
そんなコトを、Aくんの「時代は今、逃げない、から、逃げろ」理論を聞いているうちに、漠然と思ったりする。
するとAくん、ついに、あの、「逃げられないモノとはナニか」のそのナゾに踏み込む。
「言っておくが、逃げられないモノはない、と、僕は思っている」
ん?
「というか、逃げ出してはいけないモノはない、だな」
逃げ出してはいけないモノはない?
「だから、トットと逃げ出せばいい。ただ」
ただ?
「ソレが、ソコ知れぬ悪であり、その悪、悪行によって、多くの罪なき一般ピーポーたちの掛け替えのない大切なモノを奪うことに繋がるのなら、できることならソレから、その悪から、逃げ出してほしくはない、という思いは、たしかに僕の中にある」
なるほど、そういうことか。
「でも、それでも、心が壊れてしまうぐらいなら、トットと逃げろ。逃げ出せ。ソレ以外のコトもソレからのコトもナニも考えるな、と、本気で思っている。それもまた、紛れもなく嘘偽りのない僕の正直な気持ちなわけだ」
心が壊れてしまうぐらいならナニも考えるな、か~。
う~ん・・・、少しピンとは外れているかもしれないけれど、自分なりにナンとなくながら見えてきたコトがある。
まず、「逃げる」は「死」ではない、ということ。「死」を選ぶことは「逃げる」ことではないのである。だから、ナニがナンでも「死」なんて引き寄せてはならない。なぜなら、「逃げる」は、未来に向けての最高に前向きで能動的な行為であるはず、だからだ。そういう意味でも「逃げる」は、「解脱(ゲダツ)」に、限りなく近い気がする。
解脱。
そう、解脱。
この世に蠢(ウゴメ)く有りと有らゆる理不尽な縛りからの解放。この解放が解脱であり、この解脱こそが、Aくんが熱く語る「逃げろ」なのではないか、と、ズンズンと思えてくる。(つづく)