はしご酒(2軒目) その十九
「ナンジ ノ テキ ヲ アイス」
汝の敵を愛せるか。
コレは、なかなか難しい。なんといっても、汝の「敵」なのだ。いとも簡単に、易々と、サラリと愛せるぐらいなら、そもそも、ソレは、汝の「敵」ではないだろう。
そんな汝の「敵」を、あなたは愛せるか。
というか、私は、愛せるだろうか。
正直言って、私は、私の「敵」は愛せない。そんな気がする。
「敵」とはナニか。
「愛する」とはナニか。
たいていは、愛してあげるから、こっちの言うことを聞きなさい、程度の、実に、あくまでも駆け引きのツールっぽい、戦略的なモノのように、どうしても思えてしまう。その戦略に乗っかってくれれば「味方」で、乗っかることを拒み、反旗を翻(ヒルガエ)した者が「敵」。わかり易いと言えばわかり易い。しかし、そんなモノが、正真正銘の「愛」とは、到底、思えない。汝の「敵」を、丸ごとそのまま、そのままの姿で愛する。そうでなければ、ソレを、「愛」とは言えないだろ、と、心から思う。思いはするが、ナゼか揺れ動いてしまう。ソレほど、私にとって、「愛」は、他の追随を許さないぐらいパワーに満ちてはいるものの、トンでもなく得体が知れないモノなのである。得体が知れないモノを、理屈抜きに愛することなど、どう考えても現実的だとは考え辛い。
「敵なんか愛されへん、って言うんやったら、ハナから、つくれへんかったらええんとちゃうの、その敵っちゅうのんを」、とOくん。
ん?
「愛せるとか愛せないとかのその前に、味方も敵もつくらへんかったらいい」
ん~。
ソレが、ほとんど正論であることぐらい、私にだってわかる。けれど、ソレって、更に、もっと、難しいでしょ。と、心の中で思いっ切り突っ込ませていただいた。
突っ込ませてはいただいたけれど、いや、まてよ。ひょっとしたら、敵とか味方とか、と、いうような、そんなチンケなコトなど全く考えない、微塵も思いもしない、人徳の塊(カタマリ)のような人もいるのかもしれないな、と、そんな思いが、ブクブクと湧き上がってくる。湧き上がってはくるのだけれど、やはり、私には無理だ、あり得ない。しかし、あり得ないのだけれど、そんな、あり得ない私のままではダメだということも理解できるだけに、もう、頭と心と、現実と理想と、の、狭間で、あたかも私を嘲笑うかのように、グチャグチャと、ペタペタと、否定と肯定とがミルフィーユのように幾重にも重なりまくるのである。
ソンなコンなコトをアレコレ考えていると、Oくん、「そもそも、愛っちゅうもんをやな~、熱いもんと考えてまうから、頭の中も心の中もカッカしてもうて、冷静さを失ってまう。コレが、諸悪の根源のような気がすんねんけどな~」、と。
カッカしてしまう、か~。
すると、サービスです、と、手づくりのイカの塩辛を、少し、ヒョイとカウンターに置いてくれたお兄さんが、「アイス、って言うぐらいですから、ね~」、と。
ア、イ、ス?
あ~、カッカには、アイス、か~。
一瞬、「あ~」という、ナゼか、妙に、実に悔しそうな表情を見せたOくん。で、あったのだけれど、そのサービスの、シッカリ冷やされたキンキンのイカの塩辛のあまりの美味しさに、居直りにも似た独特の可愛らしさ、みたいなモノを振り撒きながら、プチでキュートな雄叫びを上げたのである。
「アイス、愛す。愛させて、もらいまっせ~」
(つづく)