はしご酒(2軒目) その九
「ユメ ト ゲンジツ ノ ハザマ デ」
夢と、現実。
夢は、夢であるがゆえに、なんとでも、いくらでも、好きなように、好きなだけ語れる。語れるからこそ、夢。そしてその夢に限界などない。ソレが、ソレこそが、夢、夢の醍醐味。
一方、現実には、青二才な夢ごときにはないリアルな説得力がある。浮わついたモノを排除した説得力があるからこそ、現実。ソレが、ソレこそが、現実、現実の醍醐味。
そんな、相反する夢と現実ではあるけれど、だからといって、それぞれが別々に距離をおいて鎮座している、というわけではない。
夢と現実は、ときに刺激し合い、影響し合い、響き合い、場合によっては、潰し合う。
人生とは、そういうモノなのだろう。と、私は、密かに思っている。
そして、そんなふうに、世の中の一般ピーポーたちも、おそらく、夢と現実の狭間で、あ~でもない、こ~でもない、と、もがきながらも、小さな達成感をアテにして、カテにもして、どうにかこうにか生きている、生きていく、のだろう。
とはいえ、その程度の人生が現実であるなら、たいていの老若男女は、とくに未来ある若者たちは、多分、「つまらない人生だな~」などと嘆いてしまうかもしれない。が、ところがどっこい、ナゼか、人生は、ソコまでガッカリしなければならないほど無味乾燥なモノでも、面白みのないモノでもない。ソコがまた、人生、人生の醍醐味。なのだ、と、意地でも思いたい。
そう、人生、人生の醍醐味。
「私は、そうそう思い通りにはならない、ということも、全て丸ごとひっくるめて、人生だと思っています。そして、夢と現実とがゴチャゴチャッと入り乱れたその狭間にこそ、人生のワビもサビも醍醐味も、あると信じている、というか、信じていたい」
「せやな~、そうかもしれへんな。ナンやカンや言うても、結局は、生きていかなアカンわけやし。夢と現実との狭間でジタバタさせてもらうのもまた、ソレはソレでええコトなんかもしれへん、っちゅ~こっちゃな」
トにもカクにも、ジタバタしてみよう。
夢と現実の狭間で、あ~でもない、こ~でもない、と、もがきながらもエネルギッシュに、ココは、まず、思いっ切りジタバタしてみよう、と、決意もあらたに、キュ~っと一杯・・・う、うまい。(つづく)