はしご酒(2軒目) その八
「ショク ヘノ コダワリ ハ アイ」①
拘(コダワ)っていいモノの中の、かなり上位に「食(ショク)」がある。
しかしながら、巷でよく耳にする、あの、美食家たちのお戯(タワム)れの意味合いが濃厚な、いわゆる「グルメ」というヤツのことではない。むしろ、「グルメ」は、「食への拘り」界における単なる小さな一部分にすぎなく、本道から少々外れた異端でもある、と、私は思っている。もちろん、ソレはソレで大いに結構なのだけれど、だからといって、誰もが、必ず拘らなければならないというようなモノではない。
つまり、私が宣うところの「食」とは、「食への拘り」とは、ようするに、「食」にまつわる全てのヒトやコトやモノに対する、「愛」、そう、「愛」なのである。
「ゴボウ界の若大将や~」、などと、軽めに叫びながら、美味しそうに若ゴボウの炒め煮を頬張るOくん、半ば独り言のようにボソリと。
「大量廃棄なんかありえへん、ちゅうことやな」
「ないない、もちろん、あり得ません」
大量廃棄なんて、あり得るわけがない。
「だからこそ、拘らなければならないのです。それは、「守る」、に、かなり近いかもしれない」
そう、守る。「食」を守る、の、「守る」。
「ただし、単なる『食』では不充分。『食』そのものに、『食』に関わる、纏(マツ)わる、全てに、パッションが、パワーが、エナジーが、なければならないと思うのです。そんな『食』であってこそ、の、『守る』であるからこそ、大いなる意味をもつ」
「なんか、守る、っちゅうより、応援、っちゅうか、エール、せや、エールやな」
エ、エール?
「頑張る『食』に、関わる、頑張る『人』たちに、エールを送る、送りたい。っちゅう、その思いが『食』への拘り、っちゅうんであるんなら、わかる、わかるわ~、それ」
エールを送る、送りたい、か~。
たしかに、ソチラの方がビタッとくるかもしれない。
トにもカクにも、ソレが、私が思うところの「食への拘り」であり、「愛」なのである。
(つづく)