はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と九十五
「ナハ タイヲ アラワス」
「名称よりも中身が大事」
ある政治関係者が、自信満々にそう宣う。
「じゃ、決まりかけていた名称を、土壇場で変更する必要などなかったのではないですか」
あるジャーナリストが、おもわずそう問う。
どの角度から見てみても、そのジャーナリストのおっしゃる通りである。「名称よりも中身が大事」というのであれば、ソコまで名称に拘(コダワ)らなくてもいいのではないか。ひょっとしたら、拘らなければならない理由があるのではないのか。などと、どうしても勘繰りたくなってくる。
「こども家庭庁、どう思われますか」
「ん?。あ、あ~、ラストのラストで、その名称でモメていたヤツね」
「そうです。たしか、土壇場で、ナゼか『家庭』が、くっ付いてしまったのです」
「そうだった、そうだった。臭うよな~、怪しい臭いがプンプンと」
「で、その時に、その関係者の中のトップクラスのエライさんが、こう宣ったんです。『名称よりも中身が大事』」
「ん~、そりゃそうだけどさ~。でも、土壇場で変更したわけだろ。尋常じゃない『名称への拘り』、僕なんかはビンビンと感じるけどね」
「ナニがナンでも『子どもファースト』でなきゃならないはずなんです。だから、だからこそ『こども庁』であったのに、突然、天の声かナニかが舞い降りてきて、土壇場で『こども家庭庁』。コレって、一部の人たちに圧倒的に支持されている『古き良き家庭のカタチよ、もう一度』ですよね。しかし、ソレとコレとは根本のトコロで全くもってナニもカも違うんです。にもかかわらず、ソコまで家庭に拘るなら、いっそのこと『こども庁』と『家庭庁』をつくればいいじゃないか、とさえ思ってしまう」
「なるほど、いいアイデアだな、ソレ。真っ当な思考で考えることができさえすれば、その二つがベツモノだってことぐらい、誰にだってわかるだろ、普通。いいよ、いいと思う、賛成だ」
「ご賛同、ありがとうございます。昔の人も言ってますよね」
「なんて?」
「名は体(タイ)を表す。って」
「おっ、おぉ~!」
(つづく)