水菓子 その壱
「ワクワク ガ ワクワク?」③
私は、そんな「相互ワクワク」感を阻害する要因のかなり上位に、あの「教科書」があるのではないのか、と密かに思っている。
勉強が得意な子も、そうでない子も、興味関心のベクトルがアッチ向いてる子も、ソッチ向いてる子も、みんな一律に、限られた時間の中で学ぶ学習の「内容」も「量」も同じという、このプレッシャー、相当なものだと思われる。おもわず、教科書が配られたその日のうちに敗北宣言をしてしまいたくなってしまう、なんてことも、あるのではないだろうか。
巷では、「みんなちがって、みんないい」なんて言ってくれたりする人もいたりするけれど、現実は、みんなちがっていいわけもなく、ただひたすら厳しく残酷であったりする、から、タイヘンなのである。
Aくんが理想とする授業とは、先生が考えに考え抜いたアレやコレやのアプローチで、学習内容の一つ一つをジックリと、生徒たちが自分のモノにしていく、という、そんな「〆切」感のない、ユッタリとしたものである、らしい。たしかに、Aくんのその思いを全ての起点にして、授業を、教育を、考えることができたならば、クラス編成やら、評価方法やら、も、含むそこかしこで、きっと新局面を迎えることができるような気がする、のだけれど。
いいね~、夢がドンドンと膨らむ「ワクワクがワクワクを呼ぶワクワクワクワクワールド」な授業。
しかしながら、あまりに残酷な現実に目を向けると、悲しいかな、コレもまた夢のまた夢、で、終わってしまいそうな、そんな(「重い」という漢字を使いたくなってしまいそうな)「思い」ばかりが、ドンドンと膨らんでいく。(つづく)