ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.84

水菓子 その弐

「リフジン ト ドウリジン」

 ボーダレスやら、グローバルやら、といったものが、世界中の理想と現実の狭間で、ガタガタと揺れている。

 Aくんは、学校の先生のわりには(などというと、学校の先生を小バカにしているような、そんな感じだけれど、そういう意図は全くないので、ご安心いただきたい。とはいうものの、「学校の先生、大海を知らず」というイメージが、どうしても付きまとっているのもまた事実ではあるのだけれど)、これまでに海外のそこかしこの土をリアルに踏んできたようで、そうした体験を、自分の財産だと自負する。

 そんなAくんだが、彼は、この地球に生きる人間を、もういい加減、国家単位で区分するのはやめたらいいのではないか、と、以前からかなり強く訴えている。そして、「〇〇人」なんてものは、元来2種類しかない、と、(いつもながら極端ではあるけれど)言い切る。

 その2種類、とは、ドコまでも理不尽な「リフジン(理不人)」と、ナニがなんでも道理に生きる「ドウリジン(道理人)」である、らしい。

 かなり無理があるような気もするけれど、世界中に不条理で理不尽な風が吹きまくる、そんな時代であるだけに、それはそれで的(マト)を得ているのではないか、と、なんとなく思えてもくる。

 仮に、Aくんが宣うように2種類しかないとしよう。

 その2種類の、2本の、道のその前で、背筋を伸ばしてスクッと立ち、まずは思いっ切り深呼吸をし、落ち着いて、ジックリと考えてみれば、自ずと、我々の進むべき道がドチラなのか、は・・・。(つづく)