ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.78

食事(香の物) その壱

「ソレゾレ ノ ガッコウ ノ ジツジョウ ニ アワセテ」

 「それぞれの学校の実情に合わせて」

 「最終決断はお任せしている」

 これらは、厄介なナニかが起こってしまった際などによく耳にする、シモジモじゃないエライ人たちの、教育現場への代表的なフレーズである。

 最終決断を全権委任されているわけだから、そうしたフレーズに、とくにナニか問題があるとは思えないのだけれど、ドコまでもドコまでも疑い深いAくんは、その奥深くに潜む怪しい「ズルさ」を、けっして見逃さない。

 一度、Aくんに、「ナニがズルいのですか」と聞いてみたことがある。

 すると、「元々、現場は、お上(カミ)からの指示まみれなわけ。その指示が、ボディーブローのようにジワジワと効いてくる」、と。

 元々ある指示が、ボディーブローのように効いてくる?

 「とくに、現場のトップにとって、圧倒的な権力を握るシモジモじゃないエライ人たちの指示は絶対だということ。だから、『それぞれの実情に合わせて』などと言われても、たいていの現場のトップは、ナニがあっても、起ころうとも、ソレでもなお、どうすれば元々ある指示を遂行することができるか、を、まず考える。というか、そのコトしか考えられないんだよな~、どうしても」

 指示は圧力。圧力は呪縛。その呪縛から逃れられない、ということか。

 教育現場にいたAくんだけに、中間管理職の色濃い現場のトップから漂う、その、如何ともし難い無力感を、何度も何度もコトあるごとに、感じていたのかもしれない。

 そう、如何ともし難い無力感、なのである。

 本当なら、そんな呪縛などかなぐり捨てて、とりあえずは指示の内容と照らし合わせはするものの、あくまで現場にとっての最善を模索しながら、そのリスクは、必要性は、可能性は、といった諸々を、時間が許す限りジックリと、主体的に検討していく。べきなのだけれど、残念ながら、そうはならない。

 指示は遂行しなければならない、というその呪縛から、そう簡単には解放されないのである。

 では、ナゼ、「それぞれの学校の実情に合わせて」、「最終決断はお任せしている」、などと、わざわざ、いかにも現場の独立性を尊重しているかのようなコメントをするのか。むしろ、ナニかトンでもないコトが起こってしまった時こそ、今まで通り、現場に対して指示をしたおせばいいではないか。

 再び、Aくんに、「ナゼ、いかにも現場に任せるようなコメントをするのですか」と聞いてみた。

 すると、間髪入れず、「責任の移動スペシャル!」、と。

 責任の、移動、スペシャル?

 「せ、責任が、移動してしまうのですか」

 「すでに、もう、トンでもないコトが起こってしまっているわけだろ。今後、どう対処しても、更なるトラブルを引き起こしかねない状況で、スルリと責任を移動してしまう、究極の責任転嫁。ソレが、この、保身系の逃げ技、責任の移動スペシャルだ」

 あ~。それゆえの、「最終決断はお任せしている」、か~。

 万が一にもAくんの指摘通りだとしたら、あまりにも無責任、と、言わざるを得ない。そんな、この、ズルくて無責任で姑息な逃げ技を、Aくんは、責任の移動スペシャルと、命名したわけだ。ん~、なるほど。まさにドンピシャの命名かもしれないな。

 「ナニかがあったときの、上手くコトが運ばなかったときの、『最終決断はお任せしている』。たしかに、いい響きだ。『姑息大賞』を授与したいくらいだよ」、と、呆れ果てるように呟いたAくん、の、その時のその表情、今でもハッキリと思い出すことができる。(つづく)