食事(止め椀)
「ガンサク ナ イッピン」②
(少々ムリクリ感はあるけれど)考えようによっては、「人」というもののハイスペックな贋作、贋作な逸品、と、言えなくもない「人型ロボット」。しかしながら、なぜに「人型」なのか、どうして「人型」でなければならないのか、ソコのところは、なかなか興味深い。
う~ん、ソコのところはやはり、あの『鉄腕アトム』だな、きっと。
『鉄腕アトム』の日本、だからコソの「人型ロボット」、「人型ロボット」だからコソの愛着。日本ピーポーのほとんどが、そう思っているのではないだろうか。
なのだけれど、ヨーロッパでは、ロボットを人型にするコトへの抵抗がある、というような話を聞いたコトがある。コチラもまた、かなり興味深い。
ロボットに対して愛着をもたせるコトへの危惧なのだろうか、それとも、「人」をつくる、「命」をつくる、という神にの領域に、繋がるのではないか、という懸念なのだろうか。
たしかに、愛着も憎悪も敵対も、紙一重と言えば紙一重と言えなくもない、という気もする。それゆえ、トンでもない「人型殺人ロボット」誕生の可能性もまた否定はできない。そんなコトのアレやコレやを考え始めると、「人型ロボット」に対する見方も変わるといえば変わる。
性善ロボット説?、性悪ロボット説?、ドチラから考えるか、そのスタートラインの違いで、なにもかもが変わってきそうだ。
ココで、Aくん、そのスタートラインを根本から変えてくる。
ロボットが善とか悪とか、と、エラそうに語ってはきたけれど、「人」にとってダイジなモノ、道徳とか倫理とか哲学とか愛とか、そういったモノを軽んじると、科学の進歩なんてモノは悪用されるに決まっている、と、吐き捨てるように、Aくん。
ということは、情けない話だけれど、コレもまた、「人型ロボット」がどうのこうのという問題なのではなくて、「人」としてダイジなモノが、ガタガタガタ~っと壊れ始めつつある(ような気が、どうしてもしてしまう)この現代社会を生きる我々「人」側の問題だ、ということになるのだろうか。
「人型ロボット」問題は「人ガタガタ」問題。
「人」がガタガタでは、ハイスペックな贋作、贋作な逸品、としての「人型ロボット」など、夢のまた夢、ということなのかもしれないな~。(つづく)