ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.77

食事(止め椀)

「ガンサク ナ イッピン」②

 少々、ムリクリ感は歪めないものの、考えようによっては、「人」というもののハイスペックな贋作、贋作な逸品、と、言えなくもない「人型」ロボット。の、その人型に、以前から、私は、興味も疑問も抱き続けてきた。

 なぜ「人型」なのか、そして、どうして「人型」でなければならないのか。

 ある日、ある番組で、あるロボット工学の学者らしき人が、ボソリと、その、一つの答えを呟いたのである。

 あの『鉄腕アトム』への憧れ。

 鉄腕アトム

 あ、あ~、鉄腕アトム。あの鉄腕アトムへの憧れ、か~。

 幼少の頃からこの国は『鉄腕アトム』なのである。だからこその「人型ロボット」。「人型ロボット」だからこその愛着。見事に腑に落ちた。おそらく、一定の年齢以上であるなら、私に限らず、ほとんどのこの国のピーポーたちの腑に、落ちたんじゃないかと思ったぐらいである。

 なのだけれど、ヨーロッパではロボットを人型にするコトへの抵抗がある、という。コチラもまた、かなり興味深い。

 ロボットに対して愛着をもたせるコトへの危惧なのだろうか、それとも、「人」をつくる、「命」をつくる、という神の領域に繋がるのではないか、という懸念なのだろうか。

 たしかに、愛着も憎悪も敵対も、紙一重と言えば紙一重と言えなくもない、という気はする。それゆえ、トンでもない「人型殺人ロボット」誕生の可能性もまた、否定はできない。

 そう、人型殺人ロボット。

 遠い、いや、近い未来、組織されるかもしれない人型殺人ロボットたちの一個連隊を、想像しただけでも充分に空恐ろしくなる。

 そんなコトのアレやコレやを考え始めると、たしかに「人型ロボット」に対する見方も変わるといえば変わる。

 性善ロボット説?。

 性悪ロボット説?。

 そのドチラの視点から考えるか、で、ナニもカもが変わってきそうだ。

 ところが、ナニかにつけてドコまでも懐疑的なAくんは、ロボット以前に、まず、「人」だろ、と、手厳しい。つまり、ロボットが善とか悪とかのその前に、これほど犯罪やら争いやらを起こし続けている「人」が、今までのようにコレからも、「人」にとって大切なモノ、たとえば、道徳とか倫理とか哲学とかといったモノを軽んじ続ける限り、ロボットも含めた科学の進歩なんてモノはナンでもカンでも全て、悪用されるに決まっている、と、吐き捨てるように断言する。

 悪用されるに決まっている、か~。

 ということは、実に情けない話だけれど、コレもまた、「人型ロボット」がどうのこうのという問題なのではなくて、「人」として大切なモノが、ガタガタガタ~っと壊れ始めつつあるこの現代社会を、生きる、私たち「人」側の問題だということになるのだろうか。

 そう、「人型ロボット」問題は「人ガタガタ」問題。

 「人」がガタガタでは、ハイスペックな贋作、贋作な逸品、な、「人型ロボット」など、夢のまた夢。土台無理ということなのかもしれないな。(つづく)