ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.939

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と七十

「ソコニ メガ ムカナイ メヲ ムケナイ」

 弱き者たちの生活をドン底に叩き落とすかのようなトンでもないコトが起こっているにもかかわらず、ソコに目が向かない。どころか、意地でも目を向けない。みたいな、そんな風潮が、ナゼか定着しつつあるような気がしてならない、とAくん。その最たるモノが、例のあの「自己責任」というヤツだろ、と、吐き捨てるように言い添える。

 自己責任。

 ひょっとしてこの言葉、弱者限定で発せられた言葉であるのかもしれない。

 たとえば、無駄遣いとしか思えないような利権絡みのコトには、信じられないほどサクッと、何億、何十億、場合によっては天井知らずの血税を投入したりする。わりには、弱者たちに対しては、ナゼか躊躇なく「自己責任」なのである。

 するとAくん、更に吐き捨てるようにトドメを刺す。

 「権力を握るシモジモじゃないピーポーたちってのは、本来、一般ピーポーたちにトンでもないコトが起こりつつある時、あるいは、不幸にも起こってしまった時、に、こそ、あらゆる英知とパワーを結集させて、シモジモである一般ピーポーたちのその窮地を救わなきゃいけないはずなのに、悲しいことに、腹立たしいことに、『ところがどっこい、そうは問屋が卸しませんぜ』、なんだよな~」

 あっ。

 あるドキュメンタリー番組のことを思い出す。

 その番組の終盤で、老人の顔が画面一杯にクローズアップされる。

 「悔しいけれど」

 そう口にした途端、言葉を詰まらせたその老人の顔は、苦虫を噛み潰したようにクシャクシャになる。一気に脳裏に去来するモノがあったのだろう。

 妙に長く感じられた短い沈黙が続く。

 その沈黙の数秒間の中にギュッと凝縮されたモノを思うだけで、コチラまで胸が締め付けられる。

 そして、その沈黙のあと、ようやく、振り絞るようにして彼は口を開く。

 「上層部の、兵隊に対する考えは、そんなもんです」

 あの、壮絶なるインパール作戦の数少ない生存者の、重く、辛い、辛すぎる言葉である。

 あれから八十年近く経過したわけだけれど、シモジモである弱き一般ピーポーたちに対するこの感じ、あたかも命に格差があるかのようなこの感じ、ナニも変わっていないのではないか、と、ズンズンと、ズンズンと思えてくる。(つづく)