ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.76

食事(止め椀)

「ガンサク ナ イッピン」①

 Aくんが突然、贋作(ガンサク)でもいい、と、言い出したことがある。全くもってその意味も意図も掴(ツカ)めない私に、「贋作の定義とは」と問うてくる。普段なら、「わかりません」で済ましてしまうところだが、ナニを思ったか、その夜は、「ニセモノでしょ」と答えてしまう。当然のごとくAくんは、更に、「ニセモノってなんだ」と問うてくる。もちろん酒の力を借りての狼藉ではあるのだけれど、私も負けじと、「ニセモノをつくってボロ儲けしようと企むヤカラたちの、商売道具です」、と、自信満々に改心の決定打を放ってみせる。すると、「たとえば、万人が、『素晴らしい!』と絶賛してやまない贋作は、ホンモノなのだけれど『駄作だな』と思われるモノより劣るのか」、と、私のその決定打にさえも無遠慮にカブせてくる、Aくん。すでに、ナゼか、妙に、調子に乗ってしまっていた私は、「たとえば、エクセレントでクールな贋作を、頭ごなしに『ニセモノだ』と言い切るには、さすがに抵抗はあります。ホンモノであったとしても駄作は駄作ですし。いや、そもそも、ニセモノがホンモノを超えるなどということコト自体、まず、あり得ない。あり得ないでしょ、普通」などとエラそうに語り続ける。しかしながら、ジワジワと、その強気な姿勢にも陰りが見え始める。

 贋作。贋作、か~。

 贋作とは、いったい、ナンなのだろう。ニセモノとは、ホンモノとは。ひょっとすると、Aくんが言うように、ナンであろうがいいモノは、いい。というコトも、また、あり得るのかもしれない。

 あっ、そういえば。

 そうだ、そうだった。

 民藝運動の陶芸家であった富本憲吉であったか、たしか、こんなコメントを残していた。

 贋作であろうがなかろうが、あなたにとっていいものはいい。

 あなたにとって、いいモノは、いい。か~。

 たしかに、さほど高額なモノでないのなら、納得済みのお気に入りのイッピン(一品)は、そうしたニセモノとかホンモノとかといったレッテルを軽く飛び越えて、文句なくイッピン(逸品)である、と、言えなくもないか。

 そう、レッテルを軽く飛び越えて、だ。

 レッテルを、レッテル、レッテル?

 あっ、あ~、レッテル、か~。

 あの夜、Aくんが言いたかったコトは、贋作やらニセモノやらホンモノやら、の、コトではなくて、むしろ、この「レッテル」のコトであったのだ。

 そう、レッテル。レッテル貼り。

 そうだ、そうであったに違いない。

 一歩間違えてしまうと、権威主義的な魔物に豹変してしまう危険性を孕(ハラ)んだ得体の知れないモノ、レッテル。そのコトを、Aくんは、言いたかったのだ。(つづく)