食事(ご飯) その四
「シュハリ シュハ(リ)キマセリ!」
「守破離(シュハリ)」というコトバをご存知だろうか。
ちなみに、エラそうに「ご存知だろうか」などと言っている私自身も、このコトバを知ったのは、それほど昔のことではない。
そんなこの「守破離」、師弟関係のあるべきカタチの一つを端的に示したものであるという。
このコトバをAくんは好んで使う。それは、現代の教育の有りようにも通ずると感じているから、らしい。
「守」 「破」 「離」、大いなる川の流れの中で、若者たちは、モガキながらも、努力し、成長し、そして時が来れば、師匠の元から巣立って行くんだな~、とAくん。そして、更に、「守」があってこその「破」であり「離」であるというところもまたいいのだ、などと、とにかく、このコトバについてアレコレと熱く語るときは、いつだって上機嫌なのである。
そういえばあの日も、すこぶる上機嫌だった。
「守破離」とは、教育の原点におわします神さま、仏さま、不動明王さまの降臨。つまり、まさに、「守破離、来ませり!」なのだ、と、(その思いの熱量だけはしっかりと伝わってくるものの、意味はほとんどわからない、のだけれども)ズッポリと悦に入る表情を浮かべたAくんは、親父さん自慢の一口サイズ丼の揃い踏み(〆の逸品で、一見、こぶりの握り寿司のような超プチ丼が、ズラリと数種類、横一列に並んで提供される)を、右端から順番に、実に美味しそうにパクパクと平らげていったのである。(つづく)