ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.75

食事(ご飯) その四

「シュハリ キマセリ~ シュハリ キマセリ~」

 「守破離(シュハリ)」というコトバをご存知だろうか。

 ちなみに、エラそうに「ご存知だろうか」などと宣っている私自身も、このコトバを知ったのは、それほど昔のことではない。

 そんな、守破離

 師弟関係のあるべきカタチの一つを端的に示したものであるという。

 そう、守破離

 このコトバをAくんは好んで使う。それは、現代の教育の有りようにも通ずると感じているから、らしい。

 この、「守」、 「破」、 「離」。

 大いなる川の流れの中で、若者たちは、モガキながらも、努力し、成長し、そして時が来れば、師匠の元から巣立って行くんだよな~、とAくん。そして、更に、「守」があってこその「破」であり、「離」である、と、いうところもまた、いいのだ。などと、とにかく、このコトバについてアレコレと熱く語るときは、いつだってAくんは上機嫌なのである。

 そういえばあの日も、すこぶる上機嫌だった。

 ♪守破離、来ませり~

  守破離、来ませり~

  守破~

  守破~

  離、来まっせっり~

 もちろん、その夜の、Aくんのその熱唱のその意味は、サッパリ、不明だったわけだけれど、あまりにも、あまりにも楽し気に歌うものだから、コチラまで、ナンとなくご機嫌になってしまったことを、今でも、ハッキリ、覚えている。

 つまり、守破離とは、教育のそのど真ん中におわします神さま、仏さま、の、降臨。で、あって、まさに、まさに「守破離、来ませり~!」なわけなのさ~。と、満面に、タップリ、悦に入る表情を浮かべまくっていたAくんは、ズラリと横一列に並んだ、親父さん自慢の〆(シメ)の逸品である一口サイズの超プチ丼たちを、右端から順番に、実に美味しそうにパックリパックリと平らげていったのである。(つづく)