ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.553

はしご酒(4軒目) その百と百と九十四

「ダンシャリ ハ ゼンゼン ダンシャリジャナイ」

 そんなAくんの、「目に見えないモノの恐ろしさの時代」論に耳を傾けているうちに、なんとなく、ぜんぜんプラスじゃないプラスチック、に、とどまらず、ありとあらゆるゴミというゴミに、この星は、この星の未来は、スミからスミまでズズズズ~イと、まみれにまみれて、などということになってしまうのでほ、という思いが、ブオンブオンと音を立てながら膨らんでくるものだから、なんだか気持ちがズンと重くなる。

 悶々とした気持ちで、未来に不安を抱いていると、Aくんが、突然、「断捨離(ダンシャリ)なんて、ぜんぜん、断捨離じゃないよな」、と、宣う。

 断捨離?

 この頃、頻繁に耳にする。大方、仏教用語かナニかなのだろうけれど、よくは知らない。

 「断捨離、じゃない、断捨離、ですか」、と、質問にもなっていないような質問を、とりあえずしてしまう私。

 「本来、執着を捨てる、自分自身をソコから切り離す、みたいな、そんな感じだと思うのだけれど、どうも、そのあたりから逸脱しつつあるような気がするんだよな~」、とAくん。

 そんな感じからの、おウチにあるモノを捨ててしまおう、ということなのだろうか。

 「話が逸れるかもしれませんが、ゴミ収集日の朝、家中から掻き集められたゴミをゴミ捨て場にもって行きますよね。そのとき、なんだか、いつも、イヤの気分になるんです」、と私。

 「イヤな、気分、とは」

 「ゴミが移動したに過ぎないのに、家の中のゴミを放り出すことができた、スッキリした、ということだけで、ホッとしてしまう、安心してしまう、という、そんな、気分、です」

 かなり情けない話だが、だからといって、ナニか打開策を講じようとするわけでもなく、ただ単に、イヤな気分になる、などと、力なく、宣うだけのことなのだけれど。

 またまた自己嫌悪に陥りそうな私を、サラリと捨て置いて、Aくんは、独自の「断捨離」論を展開する。

 「断捨離、とは、執着、を、捨てる、ということ以外のナニものでもない。家の中のゴミを掻き集めて、収集日に、ゴミ捨て場に出す、などという、そんな陳腐なものを指しているわけではない。巷で言われている断捨離は、ぜんぜん、断捨離なんかじゃない、ということだ」

 なるほど、私が、なんとなく感じる、その、イヤな気分は、まさに、ソノあたりにあるのかもしれない。

 そしてAくん、再び、ズドドドドンとトドメを刺す。

 「大切なことは、この星にとってどうなのか、ということだと思っている。その一点だけとってみても、そんな断捨離もどき、当然のごとく、この星にとって、断捨離でもナンでもない」

(つづく)