ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.115

はしご酒(2軒目) その十七

「ソウテイガイ ハ ナイスガイ!」

 一時期、トンでもなく大きな自然災害やら権力者災害やら国家災害やら人類災害やらが起こる度に、TVの画面では、シモジモじゃないエライ人たちが、やたらと「想定外」というコトバを連発しながら、状況説明(というか、ほぼ釈明だな)に躍起になっていた。おそらく、きっと、エライ人たちであるはずにもかかわらず、あまりにも、いとも簡単に「想定外、想定外」と宣うものだから、私は、漠然ととはいえ、そうした、エライ人たちに対してナンともいえない重たい失望感のようなモノを抱いてしまっていたコトをリアルに思い出す。

 「想定外」には申し訳ないが、あの頃から「想定外」は、シッカリと悪役のイメージだ。完全に、「想定内」が善で、「想定外」が悪、そんなレッテルが貼られてしまったような気がする。

 そう、想定内が善、ベビーフェイス、テリー・ファンクミル・マスカラス。で、想定外が悪、ヒール、フレッド・ブラッシーアブドーラ・ザ・ブッチャー

 しかしながら、そんな世の中の風潮など、どこかに吹き飛ばすかのようにAくんは、「想定外」こそが教育のダイナミズムだ、と、かなり自信満々に宣っていた。

 そのコトを、そのコトの真意を、今ひとたび、あらためて、Oくんに尋ねてみる。

 「あ~あ~あ~あ~、よ~言うてはった、言うてはった」、とOくん。「アレって、どういう意味だったのでしょう」、と私。「生徒も、先生も、授業も、ビビらんとその殻を、壁を、ぶち破れ~、っちゅうんが、彼の座右の銘みたいなとこあったさかいな~。まさにそういう意味で言うてはったんとちゃうかな」、とOくん。「想定外は規格外。規格外の醍醐味、面白さ、可能性。を、めざせ。みたいな」、と私。「せやな、そんな感じや。想定やら規格やらの範囲内やったら、それゃ、おもろないわな」、とOくん。

 さすがAくんのお友だち。見事なまでの考察、分析、で、ある。その通りだと思う。だんだんと、ヒールな「想定外」が愛おしく思えてきた。

 もちろん、原発などでは、そう簡単に、「想定外」などというコトがあってもらっては困るけれど、誰でもが想定できるような、そんな規格ものの、プロトタイプの、ただ単に無難に用を足せるだけの、たとえば器のような生徒で、先生で、授業で、あってはダメなんだということを、Aくんは、あの時、力説していたのだろうな、きっと。

 「想定外は、ナイスガイ!」

 んっ?

 「想定外、規格外、こそが、ナイスガイ。っちゅうこっちゃ」

 あ、あ~。

 Oくんの、その、ほとんど意味不明ながらも妙に腑に落ちる会心のトドメの一撃に、とりあえず、私の清き一票を投じておこう。(つづく)