ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.73

食事(ご飯) その三

「カイシャク シャクニサワル!」

  「解釈」問題。とくに「憲法9条」に触れる際に、必ずと言っていいほど脚光を浴びる。

 この「解釈」、(レスリングに例えるとするならば)グレコローマンスタイルではなく、臨機応変なフリースタイルである、というところに、かなりの驚きと興味と不安を抱いている、Aくん。

 臨機応変な、フリースタイルでいい「解釈」とは、一体全体、ナンなのであろうか。そもそも、「活字」で、内容やら枠組みやらを確定するということそのものに、限界も無理もあるのかもしれない。

 「活字」で表現されたもの、それ自体が小宇宙。だからこその俳句であり、短歌であり、詩であり、小説である、わけで、そんな小宇宙の申し子みたいな「活字」に、ビチッとしたモノやらガチッとしたモノやらを求めるコトなど、その、土台からして無理があるのである。

 となると、コレもまた人間側の問題か。

 人間側の都合によってその解釈が、コロコロコロコロと変わる危険性が、「解釈」がもつ宿命であるとするならば、「活字」をいくらアレコレいらったり、さわったり、したところで、どうせ、誰かにとって都合のいいようにしか解釈されないのだから・・・・・と、熱く語っているうちに、ダンダンと、失望量の増加と反比例して声が小さくなる、Aくん。

 そんなAくんの失望感満載話を聞いているうちに、なんとなく思ったことは、ようするに、権力を握るシモジモじゃないエライ人たちは、憲法でもナンでもカンでも、とにかく、都合よく解釈できるようなそんな「活字」のままにしておきたい、ということなんだろうな、きっと、というコトである。

 「カイシャク シャクニサワル!」は、ホントに「癪(シャク)にさわる!」。

(つづく)