ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.64

止め肴 その十一

「アヤシクナルト イメージセンリャク」

 人も組織も、相手に対して、受け手に対して、ナニかを伝えようとするならば、具体的で懇切丁寧な説明が、ナニがナンでも不可欠だと思うのだけれど、国会中継やテレビCMなどを見ていると、どうも現実はそうでもないのかな、と、どうしても思ってしまう今日この頃なのである。

 Aくんの、少々片寄り気味の分析によると、「人も組織も怪しくなると、イメージ戦略に舵を切る」ということになる、らしい。

 ナニもカも包み隠さず、具体的に提示も開示も、なんてコトができるわけないじゃないか。もし、そんなコトをしてしまったら、マズいことになるに決まっている、どころか、致命的なことにさえなり得(ウ)る。そう、正直者はバカを見る、のだ。だから、人も組織も、ソコにある怪しきナニもカもを包み隠す、そんな爽やかなベールを纏(マト)ったイメージ戦略というヤツに、舵を切るのだそうだ。

 怪しくなると、イメージ戦略、か~。

 なるほど、なるほどな。

 しかしながら、「感覚的なモノだってダイジだよ」と思っている私としては、怪しくない時のイメージ戦略は、ソレはソレとして「アリ」なのではないか、という思い、当然ながら、ある。理屈抜きで、ダイレクトに、一人ひとりの感覚そのモノに、心の襞(ヒダ)に、訴えかけるイメージ戦略にも、充分なパワーがあると思うからだ。

 と、いうことは、イメージ戦略そのモノに問題があるのではないな。むしろ、人やら組織やら側の問題だな、きっと。

 どうだろう、どう思う?、「怪しくなるとイメージ戦略」理論の、Aくん。(つづく)